ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第138会

では今回は前回のブログでやたらめった暑苦しくかいた講習会を写真で振り返ります。 IMG_1040こちらが当日会場になった龍旗信 京都店です。今度はプライベートでお伺いしたいです。 IMG_1003 会場になった店内はこんな感じ。熱気に包まれている! IMG_0997 …

金澤流麺物語 第137回

このブログを続けて読んで下さっている方や、すでに僕と長い付き合いの方なら「もう何度も書かなくていいよ」と言うと思いますが、僕は海辺の町で12年間らーめん屋を経営してきた。僕の上には社長がいましたが、味も運営も人事も全て僕だったから、経営と言…

金澤流麺物語 第136回

僕の親友で悪友に前田元という世界に名を馳せるスターシェフがいる話はこのブログで何度も書いてきました。 その彼からとある日、連絡がきた。 「2/15に全日本食学会の勉強会があるねん。今回のテーマがらーめんの麺やねん。お前も来ぃひんけ?」 その重々し…

金澤流麺物語 第135回

そう言えば・・・以前に高校のラグビー部の後輩が「もし九条ネギを使うなら業者を紹介します」なんて言っていたなぁ・・・。 そんな不確かな記憶を頼りに、その後輩に連絡をしてみました。後輩が二つ返事でその業者を繋いでくれて、業者からすぐに僕の元に連…

金澤流麺物語 第134回

この半年間、試作を何度も何度も重ねてきました。最初から作りたいらーめんのイメージはありました。そしてそこに『詩的な美しさ』という永遠不変のテーマが加わりました。そのテーマに沿ってブラッシュアップを重ねてきました。 まずは素材を決める所からで…

金澤流麺物語 第133回

僕は最初はかたくなに『石川県の食材にこだわる』とばかり考えていたのですが、自分の過去をきちんと受け止める事で『自分なりの金沢を表現しよう』と考える様になり、僕の思う石川県とは?の問いには『詩的な美しさ』という答えを見つけ出し、そして全ての…

金澤流麺物語 第132回

僕が京都で生まれ育ったという事は、このブログをずっと読んでくださっている方なら既にご存じだと思います。 僕は高校を卒業するまで京都に住んでいましたらから、あと二カ月もしたら京都を離れてすでに21年が経つ事になります。 そもそも両親が石川県小松…

金澤流麺物語 第131回

とうとう還元水素水整水機が届く日が来ました!母親は朝から少しテンションが上がっています。僕も早く母親にこの水を飲ませたかったし、この水の凄さを体験して欲しかったのでとても楽しみにしていました。 IMG_0908 このなんて事はない小さな機械が還元水…

金澤流麺物語 第130回

還元水素水整水機の圧倒的なデモンストレーションを見た僕は、これを即座に使いたいと思いました。これから作り上げるらーめんへの期待はもちろんなのですが、それ以上に 「今すぐ実家に導入したい」 と考えました。 僕が金沢に帰ってきた最大の理由は、親の…

金澤流麺物語 第129回

前回のブログで現代の食生活が引き起こす体の『酸性化』と、その酸性化が引き起こす『アレルギー』そしてその酸性化を抑える為に『アルカリイオン水』が体のミネラルバランスを取る役割を果たす、という所まで書きました。 ・ という事は、マイナスイオン水…

金澤流麺物語 第128回

剛が僕に進めてくれたアイテムとは 還元水素水整水機 でした。 それは何かといいますと、水道水を浄水するだけではなく電気分解する事で『マイナスイオン水』を作る機械でした。 「素材の味を引き出す」「体をアルカリ性に保ち体質改善に繋がる」等水素水の…

金澤流麺物語 第127回

海辺の町で暮らしていた最後の9年は、毎日が不安との戦いでした。「自分はきっと成人病の何かで死ぬだろうな」とずっと思っていました。その不安がサプリメントの大量摂取という傍目からみたら異様な方法に進んでいました。 朝の9時から店に入り、仕事が終わ…

金澤流麺物語 第126回

前回のブログで「塩っけに頼らずにコクや別の方法論で味の輪郭を作る」という事を書きました。これ、ご家庭でも出来るのでぜひぜひ減塩生活のヒントにしてください。 編集20160214オニオンスープ 例えばこんな感じのオニオンスープを作る時、なんか味が物足…

金澤流麺物語 第125回

去る2月9日、食品衛生管理者講習に行ってきました!編集IMG_0879 初めて来た白山市市役所に隣接する『白山市市民交流センター』あまりに立派な建物にたじろぐ僕。(禿げてる様に見えますが、角度の問題です!) IMG_0876 入ったらギャラリー?みたいなスペー…

金澤流麺物語 第124回

最初のリンクを貼ったシェフの自殺の話から若干話がずれているが、ここで僕が書いておきたい事は、『若い人が見て憧れる仕事をする必要がある』という事だ。 まずは『圧倒的な仕事での能力の差を見せる事』『自分もこのレベルに行きたい!と思わせる事』その…

金澤流麺物語 第123回

海辺の町での店で、売上が急上昇し始めた時に一人のスタッフにこんな事を言われた。 「大さんてきっと貯金半端ないですよね」「え?なんでそんな風に思うの?」「だって、一日の労働時間めっちゃ長いし、休みもほとんどないじゃないですか。いつ金使うんすか…

金澤流麺物語 第122回

今回のニュースを受けて、ガイドブックの料理の評価の在り方を否定するつもりはさらさらない。ガイドブックの評価や批評での高い評価を目指す事は決して悪い事ではない。悪いのはガイドブックではなく、飲食業を取り巻く環境ではないだろうか? 若いコックだ…

金澤流麺物語 第121回

今日は少し僕にとって辛いニュースから。波紋呼ぶ3つ星シェフの自殺 2003年、僕は初めての店を開店させた。阪神タイガースが18年ぶりのセ・リーグ制覇を果たした忘れられない年だ。 その頃、こんなニュースについてモトイと話していた事を覚えている。 「な…

金澤流麺物語 第120回

先日のブログでお伝えした通り、物件が決定しました。 剛は本来のメインビジネスコンテンツが忙しいにも関わらずらーめん屋の事務的な内容の仕事はほとんど彼が進めてくれています。 剛が繋いでくれた協力者達が皆さん熱い気持ちで支えてくれているので、正…

金澤流麺物語 第119回

こんにちは!前回のシリーズが二月にまでなだれ込んだので遅れていましたが、月末恒例のダイエット途中報告です!! 前回の報告時でブログ用忘年会 80.4㌔でした。 この写真はラグビー部の忘年会ではしゃぐ僕と仲間達です。この忘年会の後、めちゃくちゃ体調…

金澤流麺物語 第118回

ブログ、改題します。これからは 『金澤流麺物語』 です。もうよほどの事がない限り改題はないでしょう。 ここから長い長い人生をかけた物語が始まります。 過去のブログのタイトルを振り返ると一番最初が『崖っぷちブログ』まさに崖っぷちな心境でした。自…

金澤流麺物語 第117回

前回のブログで僕の中の金沢らしさは『詩的な美しさ』と書きました。だから僕は今回の店で『詩的な美しさ』を追究していく事になるのです。 それが僕流の『金沢らーめん』そして『金澤流麺』の礎になっていくのです。IMG_0812石川県では虹をよく見ます。それ…

金澤流麺物語 第116回

『ハイクオリティを追究する事が金沢らしさ』『金沢の食材や伝統をまんま持ってくるのはただのコピー』という気付きを得た事を前回のブログで書きました。 だから僕が感じる金沢らしさとは何か?を考えない事にはどれだけ金沢の食材を使おうが、どれだけ金沢…

金澤流麺物語 第115回

えっと、今日もちょっと余談から。20年前に剛を紹介してくれたのは、以前のブログのたかしうどんシリーズで登場した剛のアニキ(以下文中アニキ)です。親友の剛、そのアニキも僕にとって大切な親友です。そのアニキがお嫁さんがお留守という事で・・・IMG_0…

金澤流麺物語 第114回

モトイが僕に鳴らしてくれた警笛とは? 「金沢の食材に拘り過ぎると、美味しい物を作る事が目的なのか、金沢の食材を使う事が目的なのか、それが解らなくなる。大さんが美味しい思うんやったら、金沢だろうが他の県だろうが使うべき。南大祐というフィルター…

金澤流麺物語 第113回

僕には夢があります。 何度も書いていますが、『100年後に僕の遺伝子を受け継ぐらーめんが金沢らーめんになっている』という夢。 そしてもう一つ。(実はまだまだ沢山の夢がありますが) 『らーめんで金沢を表現したい』 です。 僕は剛から出資の話を貰って…

金澤流麺物語 第112回

今日はちょっと余談から。 僕はなかなかそそっかしくて、すぐに携帯電話を壊してしまいます。今はスマホが定着してるからデータを保存したりもできるけど、ちょっと前までは壊れたら即データがなくなったりしたので、携帯を壊すたびに連絡が取れなくなった人…

金澤流麺物語 第111回

『流』という文字を見ると、お世話になった人や仲間や協力者や全ての応援してくれている人を思い出す・・・・。そんな思いを込めて屋号のどこかに絶対に『流』という文字を入れたいと思いました。 らーめんの屋号には『時代性』が感じられます。 以前のブロ…

金澤流麺物語 第110回

僕がらーめんを作る以上、それは『らーめん南』以外あり得ない、それは様々な人の応援の声から伝わってきました。 僕も様々な屋号を考えましたが、そのどれもしっくりくるものはありませんでした。 「らーめん南で行こうかな・・・」 しかし単純に海辺の町で…

金澤流麺物語 第109回

屋号についてはとても悩みました。 僕は海辺の町で12年間らーめん屋を営んできました。そして自己破産をして金沢に帰ってきました。自己破産はこれまでの会社と縁を切って一から出直す、一度人生をリセットして本当の自分で自分のらーめんを世に問う、という…