ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第207回

今夜も雨ですねー。

最近は夜になると雨降る日が多いなー。

以前にフェイスブックでも書きましたが、石川県民の県民性として「雨や曇りが多いから人間性も閉鎖的な人が多い」と発言する石川県民の方がチラホラ見受けられます。

石川県歴の浅い僕はそこまでは分かりませんが、雨や曇りをネガティヴに捉えるとそう感じてしまうかも知れませんね。

僕は晴れの日はもちろん大好きですが、実は雨も好きです。

「雨が降るからこそ、雨上がり町は水滴だらけで、水滴に光が乱反射して町が美しい」

「曇りが多いから、雲の切れ間から注ぎ込む陽の光が信じられない美しい」

僕は石川県の風景や気候をそう感じています。

晴れて上機嫌、雨なら美しさへの期待が膨らむ♪

そう思えば毎日が美しい。

こんばんは。

基本晴れ男の金澤流麺☆らーめん南の南大祐です。


あまりにも白いごはんが合わない金澤流麺☆らーめん南の塩らーめん【海の向こうの彼女はジャポネーゼ麺】。

あまりにご飯が合わないのでバゲット用意しました。

CMでした。

麺の話に戻ります。

石川県でらーめん屋を開業するにあたり、県内の製麺所を探すのがベストかな?と考えていましたが、選択肢は広い方が良いです。

県内の製麺所も調べつつ、僕は四ノ宮商店さんにもサンプルを早い段階でお願いしていました。

どれくらい早い段階かと言うと、まだ物件も決まっておらず、いつ開業するかも計画も立てておらず、一人で自宅でコツコツと試作を作っていた時期です。

ちょうど去年の今頃です。

正直な話、そのサンプルが非常に良い麺だったので、よほど四ノ宮商店を凌ぐような地元の麺がでてこない限りは製品の麺でも早い段階で四ノ宮商店に心は傾いていました。

で、なぜ四ノ宮商店にサンプルをお願いしていたのか?

それは四ノ宮商店の取締役の網野さんは僕の修行時代の先輩だったからです。

網野さんには本当にお世話になりました。

仕事を教えてもらったり、時に怒られたりはもちろん、お酒を飲みに連れて行ってくれたり、当時車を持ってなかった僕を横浜から辻堂までわざわざ送ってくれたりと、本当に目にかけてもらいました。

僕より2歳年上の網野さんですが、いつも冷静で落ち着いた雰囲気があり、話し上手の聞き上手、頭も切れて「この人、大人やなぁ・・・」と、仕事内容はもちろんですがその人間性を尊敬していました。

網野さんは僕よりも先に修行先を退職し、他店に移籍したのち現在の会社を同僚の方達(その中にはもう一人僕の先輩もいらっしゃいます)と立ち上げます。

事業を拡大していく中で製麺業を立ち上げ、その取締役として就任されました。

僕が四ノ宮商店を選んだのは品質はもちろんですが、こうしてまた再び網野さんと仕事ができる!という喜びが大きかったのは事実です。

僕と網野さんの間に、忘れられない網野さんの言葉がありました。

それが今も僕の仕事の根幹をなしています。

その話とは?

待て、次回!(決して焦らしているわけではありません)

金澤流麺物語 第206回

今回のシリーズは金澤流麺☆らーめん南の麺についてあーでもねぇこーでもねぇと簡単にサクッと終わらせるつもりだったのですが、書き出したら長くなりそうですわ〜。

でもらーめんそのものについてあまり話を書かないから、たまにはこういう内容の話を読みたい方もいらっしゃるのでは?と勝手に解釈して進めていきますね!


まいど。

金澤流麺☆らーめん南の南大祐です。

今日、画数に詳しいとある方に【金澤流麺】と【らーめん南】の間に何か入れた方が良い、との事で☆を入れてます☆

いいですね☆

つのだ☆ヒロみたいですよね☆

修行時代にこんな事がありました。

修行当時僕が働いていた横浜らーめん壱八家は東戸塚本店とスカイビル店と二店舗あったのですが、先輩達の頑張りでどんどん人気があがり、目に見えて売り上げも上がりました。

そこで社長が「東京に進出する!」と言い出し、僕は六本木店と銀座店に主任という肩書きをもらって赴任する事になりました。

その当時のドロドロでドタバタな話は過去のブログに事細かに書いてあるので、興味のある方は是非読んでみてください。

僕の青春のモラトリアムにまみれた物語が読めます。

金澤流麺物語ブログ〜修行編
その時に店をあげてそれまでの製麺所を変えてよりいい麺にしよう、という動きがありました。

当時の店長を中心に選んだ麺は、とてもいい小麦粉、とてもいい水、かなり完成度の高い麺、という触れ込みで選ばれました。

単純に麺だけ噛んだら今までの麺よりも断然美味しいのですが、らーめんにするとそれまでの麺の方がスープに合っていて、結局麺は元の業者に戻した、という出来事がありました。

らーめんはスープだけが突出して美味しくてもダメ、麺だけが突出して美味しくてもダメ、トッピングがやたらめったら豪華でもミスマッチならダメ、となかなか難しい食べ物です。

それぞれ個性がありながらも、一杯のらーめんとして表現しきれていなかったらそれは【ちょっと残念ならーめん】になりかねないんですよね。

なんかラグビーのポジションみたいです。

様々なポジションがそれぞれの役割と責任を果たした上でチームが機能する、そんな感じでしょうか。

前回のブログでも書いたように僕は製麺をする事は出来ます。

ただ、極めてはいません。

そんな僕が開店の最初から麺を作るとなると、おそらくずいぶん不安定な仕上がりになったと思います。

スープ自体がどこもやっていないやり方と味を模索している中で麺までやり始めたら、全てが中途半端になりそうでした。

それなら信頼できる製麺所と意見を出し合って、製麺のプロ中のプロである製麺業者にお願いできるならそれはベストの選択ではないかと思いました。

そんな中で、なぜ四ノ宮商店さんにお願いすることになったのか?

あーこれ長引く方向やん。

頑張って読みやすく短めに仕上げるのでまたつづき読んでくださーい!!

よろしくお願いします!

以下次回に続く!

金澤流麺物語 第205回

以前にも書きましたが、金沢市の電気屋さんライフサワダの沢田さんが仰られていた「ブログも1000回更新したあたりから反響が変わるらしいですよ」という言葉を励みに更新を頑張ろうと思っている金澤流麺らーめん南の南大祐ですが、1000回て途方もないな、おい・・・。


さてさて、らーめんの麺についてです。

僕が修行を始めた頃(24歳でしたから、16年前です)、自家製麺にこだわる店が増えてきました。

神奈川県に留まらずらーめん好きならその名は必ず聞いかことがあるであろう、藤沢市鵠沼海岸にあった支那そばやの佐野実さんがこんな事を仰られていたのも、自家製麺に拍車をかけたのかも知れません。

「らーめん屋が自家製麺をやらずに製麺所に頼んでたら、そんなもんらーめん屋じゃなくてスープ屋じゃねぇかよ」

むむむ。

なかなかお厳しい言葉ですね。

当時24〜25歳くらいの僕は、「確かに一理あるな・・・でもスープの仕込みと営業だけでこんなに大変なのに、自家製麺なんて可能なのかな?」なんて思っていました。

そして16年くらい前、中華麺に必ず入っている灌水(かんすい)が健康に不安がある、という説が流布し、自家製麺を行うらーめん屋が灌水に変わる素材を探して模索していた時代でもありました。

蟹の甲羅を粉末にしたものや、海老の殻を粉末にしたものなど、新しい麺がメディアを賑わしたものでした。

当時は修行先のめちゃくちゃハードなスープの仕込みの仕事で精一杯だった僕は、正直麺についてまで勉強する余裕はありませんでした。

その後灌水に変わる素材は定着せず、灌水を使うことが当たり前になり誰も疑問に思わなくなりました。

灌水に代わる中華麺のコシを作る素材はなかったことと、研究の結果今流通している灌水は健康への不安はないと立証されたからだと思います。

でもそうした先人達の試行錯誤が時代を作っていくのですね。

その時代の先にこうしてらーめん屋を営めている事を、歴史の一端を担う役目を果たしているのだ、と誇らしく思います。

で、その後27歳で最初の店を構えて、31歳で移転した後何年後かなぁ?

35歳くらいの時かなぁ?

僕も自家製麺を始めました。

自家製麺を始めるまで、何度も何度も製麺業者は変わりました。

中には一度お付き合いを辞めた業者さんともう一度タッグを組んだり、僕はずっと付き合っていきたかったのに、大人の事情(苦笑)で付き合いを辞めざるをえなかったり、なかなか大変でしたが、辻堂時代の最後に自家製麺を作れたのはいい経験でした。

それまでの計4件の製麺業者さんよりも、自分のスープにマッチした麺になったと思います。(今の辻堂の店が自家製麺を続けているかどうかは、僕はもう知りませんが)

しかし一つだけ欠点がありました。

茹で時間が長い

という事でした。

もし僕にもっと時間があって、毎日製麺室にこもって開発と研究をする自由があれば、もっと茹で時間を短くしたり、もっと味わいやコシを研究できたのではないか?とも思いますが、それはもう過ぎ去った話しです。

今言いだしても栓のない話しです。

結局、自分が最初に作った麺をパートさんに毎日作ってもらう事になり、製麺を研究し尽くす事は出来ませんでした。

話は逸れます。

その頃のパートさん、スタッフのみんな、バイトのみんな、ほんまに苦労をかけました。

当時の事を思うと、本当に胸が苦しくなります。

僕に余裕がないばかりに、みんなに多大な苦労をかけました。

それでも、今でもパートさん達とチャットで会話したり、一人一人の元スタッフや元バイト達とメールでコミュニケーションを取れたりしている事を本当に幸せに思います。

いつかみんなが金沢にらーめんを食べにきてくれた日、みんなが喜んでもらえるようならーめんを作れるように毎日頑張るからね。

これからも仲良くしててください。

すいません。

話が逸れました。

えっと、つまり僕は自家製麺をしていました。

だから麺を作る事は出来ます。

ではなぜ金澤流麺らーめん南は四ノ宮商店さんを全面的に信頼して麺を注文しているのか?

それは次回以降になります!

待て次号!!

金澤流麺物語 第204回

203回目のブログはツイッターにもフェイスブックにもリンクは貼りませんでした。

ブログを書くことも辛かったし、でも気持ちを吐き出したかったし・・・。

でも俺ごときよりも当事者の方達やもっと思い入れのある方もいるし・・・。

とりあえずブログの形にはしましたが、あれが精一杯でした。

僕のブログはほとんどの方がツイッターフェイスブックのリンクから読んでくださっているのでは?と思いますが、リンクを貼らなかった事で読めなかった方もいらっしゃると思います。

ご興味のある方は遡って読んでみてください。

こんな駄ブログにいつも足を運んでくださる皆様、本当にいつもありがとうございます。

僕たちは前に進んでいくしかないので、らーめんもブログも頑張って前に進んでいきます!

以前にも同じタイトルでブログを書いたことがあります。

俺とパイセンの麺物語

金澤流麺らーめん南の麺は、神奈川県平塚市の四ノ宮商店さんの麺を使わさせていただいてます。


国産小麦100%の全粒粉麺。

全粒粉麺とは?

簡単に説明しますと、小麦の表皮、胚芽、胚乳を全て粉にしたものです。

普段スーパーなどで見られる真っ白な小麦粉は、この表皮、胚芽、胚乳は精製して使いません。

で、その全粒粉の何が良いか?

通常の小麦の栄養が詰まっている表皮、胚芽、胚乳全てを粉にしてしまうので、通常の小麦粉の三倍ほどの食物繊維と鉄分が含まれます。

ビタミンB1の含有量も高く、健康目的で使われる事の多い粉です。

そして国産小麦100%なので、輸入されて生産方法が分からなかったりどんな遺伝子組み換えの小麦を使われているのか分からなかったりという不安もありません。

そして玉子も不使用なので、玉子アレルギーをお持ちのお子様にも安心して召し上がってもらえます。

そしてなんと言っても四ノ宮商店の全粒粉麺は、全粒粉麺にありがちな【ボソボソ感】がとても少ないのも特徴です。

金澤流麺らーめん南の麺は、しっかり茹でてこそ、その旨味がよく伝わると僕は思っています。

ですから基本の茹で方は『これ以上茹でたら柔らかくなりすぎるな〜』という所の一歩手前です。

スープを纏った麺をよく噛むと、小麦の風味が強く感じられます。

ほんまに素晴らしい麺です!!

毎日の味見の時にいつも思うのですが、『スープの出来がいい日は、麺の味わいも強く感じ』ます。

だから四ノ宮商店さんの麺を活かすも殺すも、僕の努力次第だったりします。

さてさて、なぜ四ノ宮商店さんの麺を使うのか?

僕の麺への考え方は?

などなど。

過去のエピソードを交えながらあと2回ほどに分けて連載したいと思います!

みなさんどうぞよろしくお願いいたします!

次回に続きます。

金澤流麺物語 第203回

ここ2日ほど、ブログなど全く書く気も起きませんでした。

もうすでにたくさんの方がご存知だと思いますが、ミスターラグビーこと平尾誠二さんがお亡くなりになられました。

僕がラグビーを始めた年にラグビー日本代表スコットランド代表を撃破しました。

僕は興奮しながらテレビに齧りついて観てました。

その時のキャプテンが平尾誠二さんでした。

これからの日本ラグビーを背負っていかれるとばかり思っていました・・・。

ここで僕ごときが言葉を連ねるのはどうも薄っぺらかなりそうで辛いです。

だからもうこれ以上は書きません。

悔しいし悲しいし!!

もう二度と平尾さんの様な存在は生まれ得ないでしょう。

心からご冥福をお祈りいたします。

 

金澤流麺物語 第202回

この5日ほど、ブログを公開するのがうまくいかずにずっと悩んでる金澤流麺らーめん南の南大祐です。

一応201回は公開してるのですが、写真はアップできないわ文字を太くしたりした部分も普通の大きさだわで泣きそうになってます。

せっかくラジオ出演の雰囲気を写真タップリでお届けしたかったのにー!!

201回は読めるのは読めるのですが、写真がないのでなんのこっちゃわからない内容になっちゃってます(>_<)

じっくりこの問題に取り組んできちんとした形でアップできたらツイッターフェイスブックにリンク貼りますね!

期間限定塩らーめん【海の向こうの彼女はジャポネーゼ麺】絶好調で出ております!

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ゴロゴロ牛チャーシュー麺にすると急にご馳走感アップです!

でもこのらーめん、重大な欠陥が!!

白いご飯が全く合わない!

んです!!

そこで悩んだ僕。

ほなパンならどうなん?とやってみました!


これがめちゃウマ!

塩らーめんを頼まれた方、騙されたと思ってバゲット(3枚¥100)試してみて下さ〜い!!

特に大葉ペーストに絡めて食べるとほんまに美味いです。

これ、らーめん?!も自分でも疑ってしまう謎の食べ物と化しています!

みなさん、よろしくどーぞー!

明日もあなたが優しくあります様に。

明日もあなたがあなたらしくあります様に。

LOVE & BEER!

そして

RAMEN & ROLL!!

金澤流麺物語 第201回

前回のブログで「1000回を目指して毎日コツコツと更新する」みたいな事を言っておきながら、早速4日も更新できていません・・・。なぜかここんとこブログの調子が悪くて?なんど投稿しても反映されず・・・。

それにめげずに何度も何度も同じ文章を書いては投稿しましたが・・・心が折れてふてくされてました・・・。
今日はうまく行くかな・・・(マジ不安なんすけど)

こんばんは。
小学生の頃の夢はラジオのディスクジョッキーでした。
金澤流麺らーめん南の南大祐です。
僕が小学四年生か五年生の頃、僕の家にはバカデカイダブルラジカセというスグレモノがありました。
どれだけ優れていたかと言うと・・・。
ラジオが聞ける上にカセットに録音ができる

カセットからカセットへのダビングができる

レコードプレーヤーを繋げば即ステレオに

ギターを繋げはギターアンプ

外部マイクで自分の声も録音できる

しかもサイズが80's HIP HOPの映像に決まって出てくるB-BOY達が肩に担いで練り歩く時のラジカセくらいのサイズで、それはそれは存在感がありました。
それは僕にとってはまさに夢の箱で、このラジカセさえあれば僕は無敵で最強でした。
当時お気に入りのCCBやチェッカーズのカセットを再生用のデッキに入れ、録音用のデッキには生のカセットテープを。
そして音楽を流しながら外部マイクで僕は叫びます!
「今夜もお待たせ!南大祐のミッドナイトトークの時間だ!」
自分のラジオ番組をカセットテープに作って、それを友達に配って聞かせる、というとても高尚な趣味を持っていました。
皆さんも同じ経験ありますよね?
え?ない?
あぁ・・・そうですか・・・。

ちなみに、ラジカセという言葉は、ラジオカセットの略ではなくてラージカセットだと中学に入るまで信じていた話は内緒です・・・
だって、ラージカセット信じるくらいにデカイラジカセやってんもん・・・。

色々痛い少年時代の南大祐ですが、昨日その幼き日の夢を若干叶える事ができました!
初のラジオ生放送スタジオ出演です!
辻堂時代に店への取材はありましたが、スタジオで話すのは初めてでした!

 

立て看板にもラジオ出演のため12時開店と嬉しがってちゃんと書いていざ出陣!

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初めて訪れたえふえむ・エヌワンはめっちゃキレイな建物!

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もちろん内部もめちゃくちゃキレイ!

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今日の出演は南大祐さんです!

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パーソナリティのももさん(左)となおこさん(右)と、「え?これでいいんすか?」ってくらいの軽〜い打ち合わせ!

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本番直前。
さー喋り倒すぞー。

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そして僕が喋りすぎて安定の6分押し。

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すいません・・・。
金澤流麺という屋号の意味や、味付け半熟玉子の作り方、無茶ブリからのラップまで披露し、そしてこのブログで何度も紹介させてもらってるnao yoshiokaのmake the changeも僕の紹介から流させてもらえて、ほんまに楽しい1時間でした!
ももさん、なおこさん、ありがとうございました!!

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そして猛ダッシュで店に戻って開店!!

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あー、楽しかった♪

普段の生活から、なるべくなら接する人にパワーやエネルギーやポジティブなバイブスを伝えられるような人間になりたいな、と考えています。
無理くり作った前向きさではなくて、滲み出るパワーみたいなものを。
ラジオを通して少しでもそうしたものが伝わればいいな。

明日もあなたが優しくありますように。
明日もあなたがあなたらしくありますように。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!