金澤流麺物語 第200回
今月で開店して半年になりました。
そして、一部ネットで『頭の痛くなるポエム』と書かれていた当ブログ(笑)もコツコツ続けて200回目を迎えました。
昨年の9月から書き始めたので、1年で200回。
多いのか少ないのか。
開店してからのこの半年間、なかなか仕事のペースが掴めずに更新が全くできない時期もありました。
過去の物語や、らーめんへの思想的な部分はめんどくさいくらいに書いてきたので、最近は一話完結を心掛けて書いています。
なるべく1日1回更新を目標に書いていくので、お時間のある時にでも読んでもらえたら嬉しいです。
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先日、金沢市松村でライフサワダという電気屋さんを営む沢田さんがらーめんを食べに来てくださった時の沢田さんの言葉です。
「ブログ、一気に読んじゃいました。今まで読んだブログで一番面白かった」
「頭の痛くなるポエム」と言われる一方で、こんな嬉しいお言葉もいただけるのですね。
そしてこうもおっしゃられてました。
「ブログは1000回更新すると、色々変化があるらしいですよ。ヒット数とか、仕事への影響とか」
なるほど〜。
ほな僕あと800回書けば何か変化が起こるのか〜。
例えばこんな変化が・・・
→ブログが1000回を超えたあたりでヒット数が激増
→ブログを読んだ出版社の方が気に入ってくれて書籍化
→その本が売れに売れて印税が店の売り上げを超える
→ブログ初の直木賞獲得
→連続ドラマ化
→僕役の俳優は西島秀俊
→僕も端役で出演(肉屋の配達のお兄さん役。セリフは『まいど〜どうも〜』のみ)
→撮影現場にて石原さとみと出会う
→そして結婚・・・
沢田さん、こういう変化ですかね??
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妄想はさておき、コツコツと続けることはなかなか大変な事ですが、きっと意味のある事なんでしょうね。
1000回を迎えには1日1回更新しても2年強。
こりゃ根気のいる作業ですね。
その頃には金澤流麺らーめん南はどうなっているでしょうか?
どんならーめんが生まれてるでしょうか?
僕の身の回りにどんな変化が起きているでしょうか?
今から楽しみです。
そのためにも今日という1日を大切にしなきゃ。
そして心から楽しまなきゃ。
僕の様に飲食店や小売業を営んでいる人はともすれば毎日が単調で変化のないものに感じられるよう人もいると思います。
でも1日1日はまったく違う1日です。
今日という日を大切にしなかったら、きっと思い描く未来は訪れないと思います。
だから明るく、楽しく、激しく!今日も1日働きます。
そして今日という1日が新しい歴史の扉を開ける気持ちで働きます。
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あなたが明日も優しくあります様に。
あなたが明日もあなたらしくあります様に。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第199回
そもそも、『自分なりのロックンロール』とはなんでしょうか?
「ロックってなに?」
と質問されたら、みなさんはなんて答えますか?
きっと答える人数と同じだけ答えがあるのではないでしょうか?
例えば、『カッコイイ』『うるさい』『クール』『ホット』『魂』『メッセージ性』『落ち着きない』『そもそも音楽じゃない』『精神性』『ファッション』『ロックは死んだ』『感情的』『夢想家』『理想論的』『退廃的』・・・まだまだ出て来ますね。
色んな意見があひそうですね。
そのどれらも当てはまってると思いますし、その全部が当てはまるなら、「なんでもありやん」ってなってしまいますね。
だから『自分自身のロックンロール』を持つことが大切なのかなぁ、なんて思います。
決して真似事や受け売りではなく、心から沸き起こる感じることなんだと思ってます。
だから『ロックとは!コレだ!』みたいに言い切るのはとても難しいのですが、僕は自分自身で居続けること、と思っています。
自分らしさをより激しく、深く、強く、在り続けること。
だから『自己表現』なんだと思ってます。
『自己表現』を、目一杯やる瞬間が僕の『ロック』
そしてそれを死ぬまで続けることが、『アンド ロール』
だから僕にとって『らーめんをつくる』という行為が僕にとって一番ロックなんです。
どこにも似てなくて、僕にしか作れない『らーめん』
それが僕の『ロック』
そして死ぬまでらーめん屋でい続けることが、『アンド ロール』
つまり、『死ぬまでどこにもない自分自身のらーめんを作る』事が、僕にとっての『ロックンロール』です。
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24歳の時に『壱八家 東戸塚本店』で働き始め、たった2カ月でランチタイムを任されたあの頃。
いつも通ってくれてた男性の常連の方がいました。
僕がその方に「お待たせしました!」とらーめんを運んだらその男性が僕に言いました。
「お前が働いている時が一番いいよ。元気だし見てて気持ちいいよ。美味いよ。頑張れな」
僕は感動して言葉に詰まりました。
僕はそれまで仕事で褒められるという経験がありませんでした。
問題行動ばかり起こしては世間や社会や仲間や所属してた会社にも迷惑をかけ続けてました。
そんな僕がらーめん屋に就職したら、初めて僕の努力が世間に届きました。
その時僕は決めたんです。
「今日かららーめんを僕のロックンロールにする」
って。
12歳でロックンロールに出会って、それから24歳の時にやっと自分のロックンロールを見つけました。
そのロックンロールという宝物が時に大き過ぎて、たくさんの失敗と回り道と、苦い汁を飲まされてきました。
そして40歳になって、やっと自然に自分自身でいれるようになった気がします。
やっとたくさんの音楽から得た感動。
たくさんの映画から受けた感受性。
たくさんの文学作品から得た繊細さ。
青春を捧げたラグビーから受けた感情。
やさぐれて問題ばかり起こしてた時の悩みや屈託。
そして湘南での苦しくて苦しくて死にそうになりながらも、素晴らしい仲間たちに囲まれて過ごした絆。
全てを丼の中に集めて表現する事が自然と出来るようになってきた気がします。
やっと僕自身のロックンロールを鳴らせ始めたのかな?なんて思ってます。
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でもまだまだです。
僕の旅はここから始まったばかり。
こんな危なっかしい40歳のおっさんですが、ここからがほんまのロックンロールの始まりやと思ってます。
どうか見守っていただけたら嬉しく思います。
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あなたが明日も優しくあります様に。
あなたが明日もあなたらしくあります様に。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第198回
RAMEN & ROLL。
最近僕がブログの最後に必ず書いている言葉です。
いつもブログを読んでくださっている方はすでにお気付きですよね。
RAMEN & ROLL
つまり
R&R
ロックンロールです。
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このブログに度々登場する親友のレストランモトイのシェフ、元と高校の頃から合言葉の様に『自己表現をする』という言葉を言い合って来ました。
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自己表現
いい言葉やなぁ、と思うし、この言葉を元とつるみ始めた17歳の頃から合言葉の様に言い合って、あれから20年以上経っても変わらない気持ちで入れることをとても誇らしく思います。
まぁ、元はすでに世界に名を馳せるスターシェフなので、僕はすっかり周回遅れですが(笑)
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僕がロックンロールに目覚めたのは、小学6年生でした。
きっかけはRCサクセション。
RCサクセションの中でも政治性の強い『COVERS』というアルバムが発売禁止になったニュースを聞いた時でした。
小学生だった僕は忌野清志郎さんの歌詞の意味などはまったくわかりませんでしてが、「大人の都合で発売禁止になるなんて、どんなに過激なんだ?!」と、『発売禁止』という事実にドキドキしたのでした。
それからRCサクセションにのめり込んで、たくさんの楽曲を聴きました。
聴けば聴くほどわかったのは、清志郎さんの魅力は『過激さ』ではなくて『繊細さ』という事でした。
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音感のまったくない僕はギターもすぐに諦めたし、歌も下手くそでしたが、常に周りに最高の仲間たちがいたのでいつもバンドではボーカルをさせてもらっていました。
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そんなある日、たまたまラジオ番組のゲストがRCサクセションのドラム担当の新田耕三さんだったんです。
その新田さんの言葉の中でこんな言葉がありました。
「ロックンロールやってるヤツって、バンドマンだけじゃないと思うんだ。サラリーマンでも寿司屋でもロックンロール貫いてるヤツはいるよ。要は自分のロックンロールを見つける事だよな」
言葉は間違ってるかも知れませんが、こんな内容でした。
だから僕は思いました。
「僕だけのロックンロールを見つけよう」
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らーめんというロックンロールを見つけるのには時間がかかりました。
そして見つけた後も、余計な苦労と時間を使った様な気がします。
ついでに自己破産のおまけつきです。
でも僕は『らーめんというロックンロール』を見つける事が出来てほんまに幸せです。
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あとはまっすぐ走るだけだからね。
えっと、RAMEN & ROLLって言葉にはちゃんと意味があることを書きたいんだ。
でもまたながくなってしまうから、明日にしようかな。
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明日もあなたが優しくあります様に。
明日もあなたがあなたらしくあります様に。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
最後にいつか俺のバンド『エル☆ミチェラーダJr.』でカバーしたいこの曲の動画を貼り付けておきます。
良かったら見てくださいね。
RCサクセション『ドカドカうるさいロックンロールバンド』
さとさん、えいたろさん、剛、この曲やりたいなー。
金澤流麺物語 第197回
10/3(月)から期間限定で塩らーめんを始めました。
最終日は11/30を予定していますが、今かなりの好評なのでもしかするともしかします。
実を言うと、金澤流麺らーめん南のスープは塩らーめんを想定して作り始めました。
以前のブログで(店頭で配布している『月刊金澤流麺』にも書いていますが)僕の感じる石川県の『詩的な美しさ』というものをらーめんで表現するために『牛骨メインのスープ』を作り始めた話は書きました。
しかし実は『牛骨スープ』は27歳で『らーめん高はし家』を開店した時に豚骨スープに並んで作っていたスープなんです。
この事を知っている人は、重度の『らーめん南マニア』しかいないと思いますが。
当時家系ラーメンでの修行しか経験がなく、まだらーめん屋としても3年くらいのキャリアだった僕には、豚骨スープと並行して全く逆のベクトルの牛骨メインの澄んだスープを作る能力は足りていませんでした。
美味しい日といまいち味の出ない日の差が大き過ぎて、一年経った頃に牛骨スープをやめた経緯がありました。
ですから13年越しの牛骨スープの塩らーめん、とも言えます。
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開店してからお客様に「塩らーめん楽しみにしています」や「塩らーめんはいつからですか?」などよく聞かれていました。
僕は不思議でした。
石川県に塩らーめんの名店、として聞く名前もあまりなく、『塩らーめん専門店』を謳う店も僕の知る限りありません。
なのになぜ皆さんこんなに塩らーめんを待っているのかな?と。
・
すると僕の妹(ぼくの店で働いてくれてます)の旦那がこう言いました。
「違うよ。8番らーめんだよ。8番らーめんと言えば塩らーめんなんだよ。だからみんな潜在的に塩らーめんが好きなんだよ」
!!!!
そうやってんや!!!
僕は京都生まれの京都育ちなので、8番らーめんに通うという習慣はありませんでしたが(8番らーめんさん、すいません)、8番らーめんがソウルフードの石川県の方は、幼い頃から塩らーめんを食べ親しんでいたのですね!!!
これは目からウロコでした。
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うちの常連のお客様がこんな事をおっしゃられてました。
「石川県は15年前までらーめん屋らしいらーめん屋なんて数える程しかなかったんですよ。それがこの15年で急に増えたんですよ」
確かに僕が石川県に住んでいた20年ほど前は仲間と行くらーめん屋と言えばくるまやらーめんでひたすらビール・・・みたいなかんじやったなぁ(あと、すし弁にもお世話になりました。仕事の合間に唐揚げつまみにビールをアホみたいに飲んでました。さらっとカミングアウトしてますけど、時効で許してくださいね)。
その15年の中で塩らーめんが育つ文化がまだ石川県に根付かなかったのかも知れませんね。
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そうか、石川県の皆さんは潜在的に塩らーめんを求めていたのか。
こういう事って、やってみて知ったり気付いたりしますね。
まだ塩らーめんの期間は1ヶ月半以上あります。
日本をくまなく食べ歩いてもなかなか似た塩らーめんは存在しないであろうという自負があります。
潜在的に塩らーめんを求めていた石川県の皆様の生活に寄り添える様ならーめんになれるでしょうか?
これからもファインチューニングを繰り返してどんどん進化と変化を繰り返していきます。
僕の塩らーめんがどんな成長を遂げるのか、見守っていただけたら憂いです。
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あなたが明日も優しくあります様に。
あなたが明日もあなたらしくあります様に。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第196回
みなさんは夢はありますか?
『目標』ではなくて、『夢』です。
僕はあります。
そんな夢の話を書いちゃおうかな・・・やめておこうかな・・・。
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ここに一冊の本があります。
僕の大好きな本です。
おそらく三回は読んでます。
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羊飼いのサンチャゴは羊飼いの日々を満足していました。
羊飼いでいる事は彼の夢でもありました。
しかし二度見た『本当の宝物を手にする』が気になり、占い師や老いた王様に会い話を聞く中で少年は羊飼いの仕事を捨て、エジプトへと旅することを決めます。
その旅の道中で様々な気づきを得て、少年は宝物を手に入れます。
ネタバレにならないようにザックリとしたあらすじを書きました。
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僕がこの本を初めて読んだのは多分20歳くらいでした。
その頃アレンギンズバーグやジャックケルアックにかぶれていた僕はこの本の良さがあまり解らず、「児童文学なんかな?」くらいにしか考えてませんでした。
その次に読んだのは、33歳くらいやったかなぁ?
10年は経ってました。
初めて読んだ時よりかは理解は深まりましたが、
『人が本気で夢の実現を求めた時、宇宙は全力で協力する』
や
『人は夢を追いかけている時、すでに、夢の一部である』
といった本来なら真理の言葉であるはずの文面を素直に受け取る事が出来なかったのです。
当時のあまりにも過酷で時間も金銭的にも絞りあげられていた僕は
「何言うてるねん、どうにもならんもんはどうにもならへんねんけ」
とか
「そもそも夢を見る余裕すらない人間はどうするねん」
と、毒づきながら読むしかないくらいにやさぐれていました。
しかし、昨年自己破産を申告し、親友剛の助けでこの店を出すことができました。
そしてその店に湘南や京都や奈良からわざわざ時間とお金をかけて金沢の新しい僕のらーめんを食べに来てくれる友人がいます。
全国の友人から毎日励ましと応援の声をもらいます。
そして石川県の新しいお客様に囲まれて日々を過ごしています。
そんな40歳の今の僕が読んだら・・・この本の物語と言葉がすんなりと僕の心に入って来ました。
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今僕はとても幸せです。
目指したい地平があり、まっすぐにその地平への道を歩んでいます。
物語の中で様々な出会いと経験から様々な気づきを得たサンチャゴ。
そのサンチャゴの道のりは、湘南であがきにあがいていた僕そのものでした。
僕はすでに宝物を手にしています。
あとはまっすぐまっすぐ歩くだけです
・
僕の夢、書いちゃっていいですか?
100年後、『金澤流麺』という屋号が、石川県の皆さんはもちろん他府県のにも『かなざわらーめん』と普通に読んでもらえるようになっている事です。
そして『金澤流麺』を名乗る100年後の若者達の作る信じられないくらい美味しいらーめんを見て、天国の僕が地団駄を踏んで悔しがる事です。
「どあほ!俺だってなぁ!今そのキッチンにいたらもっと美味いもん作ったるわ!きー!死んでる事が悔しい!!」
なんて言いながら。
・
ぶっちゃけ、お客様が全然来なくて気持ちが弱くなる夜もあります。
でも、今日という1日が自分のやるべき仕事をしっかり出来ているなら、僕は「よし、今日も100年後への一歩を踏みしめたぞ」と強い気持ちをいつだって思い出します。
だから、不安はありません。(いや、時に不安になる夜もあるけど。どっちやねん)
僕はサンチャゴ。
サンチャゴは僕。
まっすぐまっすぐ歩いて行くだけです。
宝物を目指して砂漠を渡ったサンチャゴの様に。
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明日もあなたが優しくあります様に。
明日もあなたがあなたらしくあります様に。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第195回
記憶に残る味。
忘れられない味。
いつかまた食べたい味。
みなさんのそんな『記憶の味』はどんな食べ物でどんな味ですか?
例えば幼い頃に家族で食べた食事は味だけじゃなくて、自分が家族の温もりの中で満たされた気持の上に、味を加味して覚えてたりするのではないでしょうか?
・
僕が高校を卒業するまで暮らした京都の一乗寺。
少年野球の仲間達と通った銭湯や、みんなでたむろしたゲームセンター。ラグビー部の仲間と通った中華料理屋、寄り道して買い食いしたハムカツ。
たまたまばったり会った別々の高校に進んだ女の子の同級生とのドギマギした会話。
そんな記憶が今でも鮮やかな輪郭を伴って浮かび上がりますが、その記憶の中にひっそりと小さなお好み焼き屋があります。
そのお好み焼き屋は幼い頃に親に手を引かれて通った店でした。
共働きで忙しかった両親。
よそのお家よりも遅い晩御飯。
今思えば、母親もご飯を作る気力がない日もあったのでしょうね。
すっかり夜も更けた時間にそのお好み焼き屋に通いました。
正直なところ、味は全く覚えてません。
でもそのお好み焼き屋に通うことはとても楽しかったし、いつもうきうきして出掛けてました。
思い出すのは、食べ頃が近づくとお好み焼きをひっくり返しに来てくれるおばちゃんの手つきや、ソースが鉄板の上で焦げて行く時に発する音です。
僕にとってはその『お好み焼き屋にいる』という事全部が『記憶の味』になっています。
幼い日々の幸せな記憶のそばに、いつもそのお好み焼き屋がありました。
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今年の春。
20年ぶりに一乗寺を訪れてみました。
活気のあった商店街は、どこかひっそりとした住宅地然とした雰囲気になっていました。
僕の生まれた家はアパートに。
僕が一人暮らしをしていた家は、空き地に。
友達の実家の花屋は閉店。
少年野球の仲間達と通った銭湯は駐車場に。
そしてお好み焼き屋はアパートになっていました。
・
幼い頃、広く感じた道路はとても狭く。
通学が大変だと感じた小学校と中学校はすぐ近所でした。
久しぶりに訪れた一乗寺は、なんだかどこかよそよそしくて、まるで幼い頃の親友とお互いに変わり果てた姿で再会して、懐かしくも戸惑いながら話しているような気持ちになりました。
それでも『記憶の味』がそこにあった事は僕にとって永遠です、それは僕の中でずっと生き続けます。
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僕の石川県でのらーめんが『新しい』とか『食べた事ない』とか色んな感想をいただきますが、今親に手を引かれて食べにきてくれてる子供達にとっては『新しく』もなんともなく、それが幼い頃の記憶になっていきます。
そしていつかその子が大人になって、親に感謝する日が来た時に、「らーめん南、行ったなぁ」って思ってもらえる店になりたいです。
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湘南でもずっとそう思って頑張って来ましたが、またこの石川県で一から出直しです!
先日も「もう晩御飯の準備を始めてたのに、この子がどうしてもらーめん南に行きたいって聞かないので・・・」なんて言って来てくれた親子がいました。
ありがとうね。
精一杯作るからね。
こんな日が長く続くように毎日頑張りたいな、なんて思います。
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明日もあなたが優しくありますように。
明日もあなたがあなたらしくありますように。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第194回
このブログをずっと読んでくださっている方にはもうすっかりお馴染みだと思いますが、僕の大好きなソウルシンガーnao yoshioka(以下なおちゃん)のnew albumが僕の元に届きました!
僕がこの人のファンになったエピソードは以前にも書いていますが、もう一度さらっと書きます。
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僕は昨年の春に前職を辞めることを決意し、散々悩んだ末に自己破産をする事を決めて、8月に石川県に引っ越してきました。
このブログの第一回にも書いていますが、当時の心境は『失意のドン底』
自己破産を決意したとはいえ、僕は自分が罪悪人になった様な気持ちで鬱々と過ごしていました。
そこから剛や周りの人の支えや応援もあり、自分なりに自分の生き方をきちんと受け止めて前を向くためにこのブログを始めました。
そんな時にたまたまyoutubeで出会ったのがこの楽曲でした。
nao yoshioka-Make the change
僕は初めてこの動画でなおちゃんの存在を知り、『私たちは変わる事が出来る!』というポジティブなメッセージとパワー、そしてその歌声にめちゃくちゃ感動して、「俺だって、人生を変えてやる!」と強く思いました。
すぐにこのシンガーについて調べました。
すると、ちょうど一年前。
10月に金沢にライブに来るという情報を得てすぐさまチケットを購入しました。
ライブは柿木畠のジャズバー『もっきりや』で行われ、完全予約制の30人ほどのお客様だけで、それはもうその圧倒的な歌唱力とメロディを浴びる様に味わいました。
みなさん着席して聴いているので、僕みたいなゴツい男が前に座っていると後ろの人が見えなくなるから、僕は最後列の椅子に座りました。
となりのご夫婦がなおちゃんのDeep Fanの方で「一緒に盛り上がりましょう!」と言ってくれて、三人で大声でコーラスして、僕は買ったばかりのツアーTシャツを着て、タオルをぶん回して盛り上がりました(レゲェのライブちゃうぞ)
ファンをとても大切にするなおちゃんは、ライブが終わった後一人一人のお客様にサインをして握手をしていました。
僕は最後まで並んで、こう伝えました。
「なおちゃんのMake the changeで本気で人生を変えようと思った。勇気をもらった。だから、ありがとう」って。
そしたらなおちゃんは僕の手を握って涙を流さんばかりに喜んでくれました。
こっちがお礼を言いに言ったのにね。
奢るところも構えるところもなく、ファンの前でも一人の人間として『素』な状態でいるなおちゃん。
ますますファンになりました。
1445844869514よしおかなおちゃんと2
これお気に入りの一枚。
1445844853807よしおかなおちゃんと1
どや?ええやろ?(ただのミーハーなファン)
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そして、一年ぶりのnew album。
前作、前々作は生バンドのオールドソウルと言った感じで、なおちゃんのボーカルも感情のままに歌い上げている感じでしたが、今回のアルバムは全部バックトラックで都会的なクールさがあります。
でもジワジワと胸に伝わる『生きている実感』
これこそがソウルミュージックやし、nao yoshiokaやんなー!!
めっちゃ感動です。
店でも車でもずーっとベビーローテーションしてます。
海外のフェスやライブでも存在感を示し、アメリカでもCDが売れているというなおちゃん。
どんどん有名になってほしいし、そしてたくさんの人に愛と勇気を伝えて欲しい。
そしてまた僕みたいに音楽の力で奮い立つ人が増えたらいいな。
でも、どれだけ売れても、また『もっきりや』でアコースティックセットでライブして欲しいな。
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僕は音楽が大好きです。
毎日音楽から多大なパワーをもらっています。
僕のらーめんをいつかそんな風に誰かの気持ちをアップリフトできるようになりたいな。
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明日もあなたが優しくありますように。
明日もあなたがあなたらしくありますように。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!