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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第111回

『流』という文字を見ると、
お世話になった人や仲間や協力者や
全ての応援してくれている人を思い出す・・・・。
そんな思いを込めて屋号のどこかに絶対に
『流』という文字を入れたいと思いました。

らーめんの屋号には『時代性』が感じられます。

以前のブログに『らーめんは日本で自然発生的に、
そして必然として生まれ、
日本の料理として発展した。
だかららーめんは日本の麺料理の中で
伝統を持たないオルタネイティブな存在である』
という僕のらーめんへの解釈を
覚えている方もいらっしゃるかと思います。

その中でなぜらーめんが
支那そば』または『中華そば』
と呼ばれてきたのか?
それは本来うどんやそば等の
麺文化があった日本に入ってきた
『中国風の麺』という意味であり、
中国料理の一部、
という意味合いではない、
という僕のが僕の見解です。

例えば、日本で言う
所謂ミートソースは本来イタリア語で
『ラグー アッラ ボロネーゼ』
(ボロニア風ラグソース)
という事に近いと思えば
イメージが沸くかと思います。

うどんやそば等の日本に元々あった
麺文化の亜流としての
『中華そば』
そういう意味合いであったと捉えています。

そして『中華そば』から『ラーメン』
という名称が定着して来たら
『らーめん○○』と中華そばと
名乗らない店も現れました。

家系は吉村家が現われるまで屋号に
『家』と付ける店はありませんでしたが、
吉村家から独立したお弟子さんが
皆さん屋号に『家』をつけて名乗り、
今や日本全国どこにいても
『家』のつく屋号を見ればそれが
家系だと誰もが認識できます。

そして1996年に『麺屋武蔵』が現われて
魚介醤油の和風らーめんで一世を風靡すると、
『麺屋』と名乗る店が一気に増えました。
1996年以前でしたら『麺屋』と名乗っていたら、
それがらーめん屋なのかうどん屋なのか
蕎麦屋なのか解らなかったくらいですが、
今や『麺屋○○』と屋号を打つ店は
全国にらーめん屋として
認知されるほどになりました。

僕の夢は

『100年後、僕の遺伝子を受け継いだ
らーめんが金沢らーめんになる』です。

僕の夢は今ここから歴史を作り出す事です。
ですから、ここから生まれる
歴史と文化を象徴する屋号を
作ってしまおう!!
と考えたのです。

そこで生まれたのが
『金澤流麺』と書いて『かなざわらーめん』
と読ませる造語です。

以下、次回に続きます。