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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第50回

子供のころから人と打ち解けるのは
得意だが、自分の心を開くのは苦手です。

常に自分の中で守りたい自分がいて、
その自分を守ろうとするあまり、
過剰にまで
『人当たりが良くて楽しい自分』
を演じてしまう自分がいます。

だから僕が自分の事を
『人見知り』
というと99%の人は
「それはない」
と笑いながら否定してきます。

そんな僕の事を人見知りとか
大ちゃんは大人数の集まりが苦手だよね、
とか解ってくれている人は実際稀です。

そんな僕は若い頃から大勢の友達よりも
深い契りを交わす様な同士が欲しいと
思ってきました。

その事が今までの過去のブログでも
書いてきた僕の欠点である
『他人に期待しすぎる』
自分を作ってきたのかな?
なんて最近になって思います。

でも僕、今になって思うんです。

契りなんて、交わさなくても
いつの間にか濃い関係が生まれている
人達がいる事を後になってきづくのかな?

なんて風に。

僕にとっては、
苦しかった12年間の海辺の町での
店長時代、同じ会社の居酒屋の
二人の店長とはそうした関係に
いつのまにかなっていたと
僕が金沢に引越す間際に
やっと気付く事が出来ました。

理屈や理論では説明できない
ほどに苦しかった毎日。

まず一人の店長が辞めた時、
会社はその人の欠点をあげつらい、
そして残った僕たちにその人が
辞めた原因があると激しく
責め立てました。

僕たちはその辞めた人を
怨む様な気持を抱いたほどでした。

そしてもう一人の店長が
辞めた時も同様の事が起こりました。

僕は二人を怨む様な気持を
再び抱きました。
誰かを怨む感情・・・。
これほど苦しくて、
自分を苦しめて、
そして出口のない感情はありません。

でも僕がこの会社を辞めて
金沢で再出発すると決めた途端、

どうしても二人に会いたくて会いたくて
仕方がなくなりました。
会いたくなった気持ちに
理屈はありませんでした。

先に辞めた二人は
「先に辞めてすまん」
という僕への多少の
罪悪感もあったそうです。

僕は二人を怨む様な気持を
抱いていた事に罪悪感を抱いていました。

今ならお互いの胸を開いて
話せるんじゃないかな?
僕は二人に会うのが
とても楽しみでした。

先に辞めた店長は今は東京で
ビストロの店長として頑張ってました。
彼が辞めていく時の陰鬱な表情を
覚えています。
その時と見違えるほどに輝いて
自信に充ち溢れていました。
思い出話から下らない話まで、
まるで4年も会ってなかったなんて
感じさせないくらいに楽しい時間は
あっという間に過ぎました。

駅まで見送りに来てくれた彼と
最後にプラットフォームで
写真を撮りました。
僕は写真を撮られることが苦手なので、
一生懸命表情を作らなくては
いけないのですが(これも過剰に
楽しい奴感をだそうとする自分です)、
彼は最高の満面の笑みで
写真に収まっていました。

そしてもう一人の店長とは
僕が海辺の町を離れる
最後の方に二人でとことん飲みました。

僕たちは一緒の会社にいた時は
よくぶつかりました。
言い争いをしてお互いに
距離を取る事も少なくありませんでした。
しかし今なら解ります。
お互いに極限の状態で余裕を
なくしてしまい、
お互いを責めたり恨んだりする事でしか
心のバランスを取れなかった事を。

今となっては笑い話のネタですが、
当時はしゃれにもならなかった
お金がなかった頃の(今もないけど)、
まるでお笑い芸人の貧乏自慢の様な
エピソードで腹を抱えて笑いあいました。

その時に彼が言いました。

「大祐さ、この話を20年後も
もう一度しようよ。
で、その時にまた一緒に大笑いしようよ」

「ええ、そうですね」

なんて何気なく相槌を打ってましたが、
実は涙を隠すので必死でした。

あぁ、ずっとこうしていられたらな、て。

同じ時代と時間を共に過ごして
来た者同士でしか解らない事が
山ほどあります。

だから僕は思います。

僕たちは言葉にならない
契りを交わしていたな、て。

最後に僕の大好きな俳優の
川谷卓三さん(故人)の言葉を
記しておきます。

「人と契らば濃く契れ」

和田さん、潤一郎さん、
ほんまにありがとう。

僕みたいなバカに付き合ってくれて
驚きと感謝をこめて。