ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第26回

Aさんとの『ラーメン屋開業』
に向けて動き出す事になった。

ラーメン屋を開業すると言っても、
味も場所も何も決まっていない。
僕はAさんの話しぶりから基本となる
味や場所の目処も多少は進んでいると
思ってこの話に乗っかる事になった。

しかし蓋を開けてみれば、
「ラーメン屋をやろう!」
と盛りあがっていただけで、
物件どころからーめんの試作すらも
一度も行われていなかった。

Aさんは単純に
「常連に製麺屋がいるから、
できんじゃね?」
くらいの感覚であるにも関わらず、
僕には「試作をしている」
と言っていたのだった。

そしてAさんは僕が入れば、
修業先の味がそのままコピー出来る
と考えていたのだった。
完全に嘘を言っていた事になる。

以前の『修業時代』の
ブログでも書いたが、
当時の修業先のスープの
作り方は特殊だった。
修業を始めたばかりの頃、
当時の先輩が僕に
こんな事を言っていたのを覚えている。

「このらーめんの作り方がらーめんの
基本だと思っちゃダメだからね」

そして相当体力を使うこの作り方に対して、
「独立したらこの作り方じゃだめだ」
と僕自身が思い続けていた。

だから最初から僕を当てにして一芝居
打って僕を引きこんだAさんと、
そんなAさんの事を
「この人はすごい!」
と信じて飛び込んだ僕とでは
認識があまりにも違いすぎた。

なぜこの時点でAさんも僕も
『ラーメン屋開業』の話を
一端白紙に戻さなかったのだろうか?

僕は「自分のらーめんを作りたい!」
という熱病に浮かされていたし、
Aさんは周りの人達に
「ラーメン屋をやるんだ」
と言った手前、
引きさがる事ができなかったんじゃ
ないだろうか?

しかしそんないい加減で
あやふやなスタートにも関わらず、
銀行から融資を取り付けたAさんの
蛮勇とでも言うべき行動力は
本当にすごいと思う。
それは自分が様々な経験を積んだ
今だからこそ、なおさら強く思う。

Aさんは凄い人だったのだ。

僕とAさんはこれからどのように
進めていくかを話し合った。
僕には当面の生活費が必要だ。
しかし今やスタッフだらけの
居酒屋には僕の入る隙間はない、
様に思われた。
だから平日は何か仕事を探す事にした。
手伝える時は居酒屋を手伝う。
そして、日曜日は居酒屋で
『らーめんデイ』として試作を
居酒屋のお客様に提供して感想を聞く。

これが僕の当面のスケジュールになった。
僕は産業廃棄物処理場の日雇いの
仕事を見つけてきた。
なかなか割のいい仕事で、
望めば残業もさせてもらえて
生活費には困らなくなった。
それで週末だけらーめんの試作をして、
らーめん以外のオーダーや
接客を手伝う事になった。
この時点で僕の休みは一日もなくなった。

しかしそれは仕方がない。
自分の為だ。
頑張るしかない。

が、事はそうは簡単には進まなかった。

Aさんは僕に居酒屋にも毎日仕事に
入るように求めてきた。

「体力的に無理です」

と断ったのだが、
「お前の店を俺が出させてやるのに、
らーめんは作りたいけど
居酒屋は出来ません、
なんて我がままは通用しねぇんだよ」
と言われると、どうしてもこの
『自分のらーめんを作れる』
チャンスを逃したくなかった僕は
首を縦に振るしかなかった。

そこからの毎日は本当に
ハードでタフな毎日だった。

産業廃棄物処理場での残業が
できなくなった僕は
定時で仕事を上がると、
真っ直ぐに辻堂へと帰ってきて
すぐに居酒屋に出勤した。

早ければ日付が変わるくらいに
仕事を上がれるのだが、
忙しいと朝の5時くらいまで働いた。

そしてまた8時からの
産業廃棄物処理場の仕事に
間に合う様に急いで電車に乗った。
毎日居酒屋で働いているなら
昼の仕事は辞めてもいいとこだが、
居酒屋からは気まぐれな小遣いが
出る程度だった。
僕は生活の為に産業廃棄物処理場
辞めるわけにはいかなかったのだ。

毎日毎日、昼休みが待ち遠しくて
仕方がなかった。

昼休みになると、
自分で作ったおにぎりと
朝のうちに買っておいたカップラーメンを
食べてしまうとすぐに眠りに落ちた。

昼休みの一時間は貴重な睡眠時間だった。
だから慌てて食事を済ませると、
僕はすぐに横になった。

僕は目を閉じると同時に眠りに落ち、
毎日時間が来ても起きれなかった。

そんな僕に産業廃棄物処理場の先輩が
「南君!おい!ラーメン屋さん!
スープが焦げるよ!」
と大声で僕を起こしてくれる様になった。
そうすると僕が慌てて跳ね起きる。
その姿を見て、
産業廃棄物処理場の皆さんが
大笑いをする、というのが
毎日の恒例行事になった。

「なんだよー、南君。
毎日そんなに大変なのかよ?」

親方を始め、職場の方はそんな僕を
面白がって可愛がってくれた。

「はぁ・・・」

僕は全く先の見えない生活に
なんと返答して良いか解らず、
不器用に作り笑いを浮かべて
ごまかすしかなかった。

その頃からAさんは居酒屋に
出てこなくなってきた。

表向きは『物件を探している』
だったが、どうやらそうでは
なかった様だった。

Aさんは自分がいなくても店が
回る様になったことから、
外で遊びまわる様になり始めた。

Aさんは居酒屋の大将として
お客様と触れ合うことに喜びを
見出していたのではなく、
「俺は何人も雇ってる凄腕の経営者なんだ」
という自分の考えに酔い始めていたのだ。

それは僕が憧れて尊敬したAさんの姿とは
大きくかけ離れていた。

当然の様に、僕とHさんを始め他の
スタッフとも心は離れ始めた。

以下、次回に続く。