ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第15回

ただれた私生活を送りながらも

『このままではいけない』

と感じ続けていた。
僕は焦っていた。
どうにかして自分に自信が欲しかったのだ。

僕は自分の経験のなさを埋めるために
独学で料理の勉強を始めた。
輸入食材店や乾物を多く扱っている
店を探して、片っ端から塩を買い漁って
水に溶かして味の違いを感じようとしたり、
片っ端から買ってきた昆布を一定の時間
水に浸して味の違いを感じようとしたり、
思いつく限りの事をした。
もちろん、最初はどれを味見しても
違いなんてさっぱり解らなかった。
時にはらーめんの返し(タレ)を
見様見真似で作ってみては、賄いの時に
こっそり修業先のスープで食べてみたりした。

そうした一つ一つの作業が
今に結び付いているかと聞かれたら、
正直解らない。
もしかしたら全く
無意味だったかも知れない。

でもそうしなくては気が済まなかったのだ。
それは全部『自分にはキャリアがない』
という劣等感の裏返しだったのだ。

だから同世代で活躍している
同業者には激しく嫉妬したし、
暗い劣等感を抱き続けていた。

ラーメン屋での仕事が一年半も過ぎてくると、
毎日の仕事がルーティンワークになり始め、
仕事から得る刺激を得れなくなってきた。

僕は不安だった。
このままこの店の仕事しか知らなかったら、
僕は今以上には成長できないのでは
ないだろうか?

まだ入って一年半のひよっこが
ずいぶんと生意気な口を聞いたもんだ。

もう10年以上も前も事だから
今の修業先のレシピは解らないのだが、
当時の修業先のスープの作り方は
独特だった。
一日中大量の豚骨を掻きまわし続けるのだ。
とても体力のいる作業で、忙しい時間帯は
麺を茹でる作業とスープを作る作業を
一人では絶対に出来なかった。
僕は
「将来独立するなら、この作り方はできない」
と思い続けていたのも、
気持ちに焦りが増してくる
要因だったのかも知れない。

早く自分のらーめんが作りたい!
でも圧倒的に経験が足りない!
他の店でも働いてみたい!
でも今の店でももう少し結果を出したい!

僕は答えの出ない
堂々巡りの葛藤をしていた。

ちょうどこんな事を考えていた
タイミングで会社がこんな決定を下す。

『東京に進出する』

六本木と銀座に一店舗ずつ
出す事が決定したのだ。
僕はその銀座店の主任を打診された。
「行きます!」
僕は即答した。
店の立ち上げに参加できる事は
絶対にプラスになる!

それは僕の熱心な働き方が認められた事と、
当時の店長の推薦があったそうだ。

住む所は会社が寮として借りてくれた
部屋に住んで良い、
地元の部屋は残しておいてもいい、
というのも魅力的だった。

僕と当時の店長は夜中に仕事を終えた後、
車で六本木まで出かけた。
六本木がどんな所か見てみたかったのだ。

初めて降り立った六本木の
交差点には圧倒された。

夜中の4時だというのに、
人ごみは途切れる事はなかった。
もし街が一つの生き物であるとするなら、
交差点を埋める人々は意思もなく跳梁する
内臓や血管の様に感じた。
とんでもない生命力を感じたのだ。
京都と金沢から出て来てK県の夜の街を
ふらふらしているだけの
僕には新しい世界だった。
六本木の交差点をうごめく群衆が
全て自分たちのお客様になると
信じて疑わなかった。

当時僕の勤めていたラーメン屋は毎月毎月
売り上げ記録を更新し続けるような
好調を保っていた。
働いている僕たちも自分たちの味は
県内1だ、くらいに思っていたのだ。

自分たちの味が失敗なんてするわけがない。
しかも自分と店長は当時社長か
『ツートップ』
と呼んでもらえるほどの
信頼を勝ち得ていた。
「俺と店長とでやれば怖いものはない!」
位に思っていた。

「Wさん!(店長の名前)
絶対成功しますよ!
やってやりましょう!」

熱に浮かされた様に上ずった声で叫ぶ僕の
声に店長も自信のある微笑みを浮かべ

「あぁ・・」

と小さく返してきた。

僕はひとまず自分の味や研究はさておき、
京進出を成功させる事で自分に
自信が持てるんじゃないかと思ったんだ。

その夜、僕と店長はK県に戻ったあと、
明け方までやっている中華料理屋を
見つけて入り、しこたまビールを飲んだ。
僕はひたすら東京での成功するイメージを
語り、店長はそんな僕の言葉に嬉しそうに
頷いていた。

僕の瞳には自分たちの東京での店に
行列が並んでいる光景が
ずっと浮かんでいた。
眠らない六本木の街のネオンの
カクテル光線を浴びて、僕たちの店は
どこよりも輝いていた。
それが現実になる事を信じて
疑うわなかったし、
自分にはその力があると盲信していた。

僕は熱病に浮かされた様に
舞い上がっていたのだ。

以下、次回に続きます。