金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第212回

探せど探せど出てこないので結局買っちゃいました。

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ショウペンハウアー『読書について』

内容をあまりにもざっくりというと(めちゃくちゃざっくりと言うので「それは違うぞ!」みたいなご意見はご容赦ください・・・)

読書をするという行為は、他人の意見を鵜呑みにする行為であって、無意味である。無駄に読書をするくらいならもっと自分の中で考えて自分だけの知恵を持て!

みたいな内容です。(ざっくり書いただけですよ・・・悪しからず・・・)

初めて読んだのは高校生のころ。

当時は書いてある内容なんてチンプンカンプンでした。

解っているふり読んでいるふりをしていました。

その次に読んだのは20歳を過ぎてから。
その内容の過激さに読書熱が過熱していた僕は
「こんな有名な人が言ってるくらいやねんから、読書なんてほんまに意味ないんかなぁ・・・」と思いっきり真に受けてショックを受けていました(今思うと・・・かわいい。笑)

その次に読んだのは30歳を過ぎてから。
その頃には随分心も図太くなり「まぁまぁ昔の人が書いてる事やねんから、散文詩でも読んでるつもりで楽しんだらええんちゃう?」と生意気な態度で読んでました。

そして40歳になって、このブログに読書について書いてみようと思ってこうして読み直してみると・・・面白いもんですよね。

「なるほど、ここは自分の体験ならこういう場面のことなんかな?」
「そっか。これは逆説的にこういう意味なんかな?」
「あぁ、ほんまはこういう事を言いたいことを、こういう表現の仕方をしてるのかな?」

などと本から一方的に受け取るのではなくて本と対話する様に読んでいる自分がいました。

若い頃の僕って、自分の頭で考えようとしたって知識や経験が圧倒的に少ないから、考えても考えてもいっつも同じような答えにたどり着くだけなんですよね。
自分を相対的に見る事が出来なかったし、自分と他人や世界と比較する対象も少なかったですから。
そんな世間知らずな若者だった僕が、多少の経験と読書量が増えた30代になると、まるでなんでも知っているかの様な気持ちになってしまって、自分と意見の違う人の事を受け入れられなかったりして口論になったりちょっと歪んだ自論を押し付けたり。

そして40歳になって「あれ?俺、なんにも知らんぞ?やばいな、もっと勉強せなアホなままやな」とやっと気づきました。
遅すぎるっちゅうねん。
そうするともっと読みたいし、読んだ本の内容を鵜呑みにするのではなく自然と本と対話する様に読むようになっていました。

遅すぎてアホ過ぎますよね~。

若い頃からこういう姿勢で本を読んでたらもっと失敗せえへんかったんかなぁ。

だから今の僕はショウペンハウアーの『読書について』を読んでこう思っています。

本を鵜呑みにしてわかったふりするな。
対話するように読んで自分の言葉にしろ。
そしてより本と対話できる自分になって自分の主体と、相対する世界とをきちんと理解しろ。
そうなれるためにも【対話する様な読書の質が必要】
すぐにはそうなれないか、まずは読書しろ!

と、勝手に多読肯定論にすり替えてます(笑)

もう10年経ってこの本を読んだとき、僕の考えはどう変化しているのでしょうね?
今から楽しみです。
自分の考えに拘泥せずに柔軟に自分を変化させて成長できる自分でいたいです。
まだまだ青二才!
もっと色んなものを見て吸収して、オモロイやっちゃなー!って思ってもらえるラーメン屋になっていきたいです。

そのために読書はほんま有効な手段やと信じてます。

ショウペンハウアー先生、どうもありがとう。

明日もあなたが優しくありますように。
明日もあなたがあなたらしくありますように。

LOVE & BEER!
そして

RAMEN & ROLL!!