金澤流麺物語 第172回
またまた更新が2週間ほど空いてしまって申し訳ありません(>_<)
SNSだけじゃなくてブログも頑張らなきゃ!
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『らーめんの本質とは、カオスである』
今現在のまだまだ未熟な僕が導いた一つの答えが、『カオス』という言葉に集約されている。
先日、少しお付き合いのあるとある業者の方がこんな発言を僕に向かってした。
「らーめんはどこへ行くんでしょうねぇ。いやね、らーめんってもうあらゆる種類が出揃って頭打ちだと思うんですよ。その中で何が出来るんでしょうねぇ。僕はもうこれ以上は出てこない気がするんですよねぇ」
これはこの方の個人的な意見なので、そう考える方がいらっしゃっても良いと思う。
だが僕は『らーめんが頭打ち』という風には考えた事は一度もない。
むしろ、これからなのだ。
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石川県に何軒のらーめん屋があり、全国に何軒のらーめん屋があるんだろう?
きっと数えられないくらいの店があり、地元から熱い信頼を得ている店や、全国的に知名度のある店や、志半ばで倒れてしまう店もたくさんあるのだろう。
その中で僕の存在なんて、風に運ばれた小さな花粉の様な物なのだと思う。
風に吹かれ、光を浴び、時に雨に打たれ、そして運が良ければどこかの花の雌蕊へと辿り着けるかも知れない。
もしかしたらコンクリートの上に落ちて車のタイヤに踏まれて命を次の世代へと繋げないかも知れない。
どこにたどり着くかなんて、今の僕ではわからないというのが本音。
でも、それでも、「大きく飛んでやる!」「時に大輪の、時にささやかな、時にきらびやかな、時にひっそりと、誰かを笑顔にできる様な花を咲かせてやる」という意思だけは強く持っている。
どれだけ世間や社会や評判に揉まれても、絶対にあきらめずに前に進めば、いつかまた花を咲かせることができるだろう。
そして、また新しい花粉を風に乗せて世界に飛ばす事が出来るだろう。
そしてまた100年後の未来に見たことのない花をつけ咲かせるきっかけになりたい。
『らーめんがどこへ向かうのか?』
それは未来に託そう、そう思う。
僕たちは未来にきちんと託せるように、精一杯、花を咲かせたい。
それだけなんです。
あ、『らーめんの本質とは、カオスである』から脱線しちゃいました(>_<)
以下、次回に続きます。