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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第171回

『らーめんの本質とは何か?』

いつも考えている。

本質を掴まないことには、本当の意味で先へは進めないのではないか?と思う。

10年くらい前になるだろうか?

今や世界に名を馳せるスターシェフとなった親友のモトイにこんな事を言われたのをずっと覚えている。

「大さんの料理はおもろいねん。でもな、スパイスやハーブの面白さに頼りすぎてる気がする。料理の本質は、いい素材を、いい塩で、いい火加減で、シンプルに仕上げて究極に美味い、そういう事やと思う」

ガストロノミーの最前線で戦うシェフが、まるで精進料理かのような理論を僕に言ってきたから驚いた事を憶えている。

昨年その事を「覚えてる?」と聞いたところ、「今でもずっとその事を追求し続けてるで」と返ってきた。

彼は19歳でコックを始めた頃から、いや、料理人を志した幼少の頃から料理の本質を掴んでいたのだろう。

僕は24歳でらーめん屋に飛び込んだ。

らーめん屋に入ったのは単純に賄いを食べることで生活費を浮かしたかっただけだった。

決してらーめん屋に『憧れてた』わけでも、『独立』を目指していたわけでもない。

とにかく空腹を満たしたい、そんな低俗な理由だったのだ。

そんな僕が本気でらーめん屋になろうと思ったきっかけは過去のブログに譲るとして、らーめん屋になろうと決めた時に僕を襲ったのが『キャリアのなさ』という劣等感だった。

らーめんしか知らなければ自分はこのまま終わる、と焦った僕は独学で料理を学び始めた。

僕は興味の湧いた料理は片っ端から手を付けた。

時に材料費が2万円くらいになったり、食べきれないくらいの料理を作って翌日店のパートさん達にタッパーに入れて配ったりしていた。

それで自分の中の劣等感は多少は埋まりはしたが、料理の本質を掴むには程遠く、とにかく量をこなす練習といった感じだった。

本質を掴めないまま、今の現時点での僕の出した答えが、『らーめんの本質とは、カオスだ』という事だった。

以下次回に続く。