金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第76回

らーめんは戦後に日本人の
手によって自然発生的に生まれた、
という僕の見解を前回のブログで書いた。

しかしもちろん中国の麺の文化の
影響を受けている。
だから日本に元々ある『そば』の
中華風、という事で『中華そば』という
ネーミングも自然と
生まれたのではないだろうか?

中国の天津には『天津飯』がないように、
イタリアのナポリには
ナポリタン』がないように、
中国にも『らーめん』はないのでは
ないだろうか?(今度機会があれば
中国料理10年の修業経験をもつ
モトイに聞いてみたい)

しかも僕の見解が正しいと仮定すれば、
自然発生的に生まれたらーめんは、
そもそも伝統を持たない。
料理としてとてもオルタネイティブな
存在だと言える。

つまり、
『らーめんはこうじゃなきゃいけない』
というルールなんてどこにもないという事。
何をしたっていいし、
一見らーめんに見えなくたって、
「これが俺のらーめんだ」と
言いきってしまえばそれは
らーめんなのだ。

だから僕は特定のイメージを指す
『中華そば』
支那そば』
はもちろん、
どこか舶来品のイメージが漂う
片仮名の『ラーメン』もあまり
使いたくなかった。

ひらがなのらーめんが一番しっくり来たのだ。

次の店では新しい造語を考えている。
新しい何かを生み出すにふさわしい
名前になる予定だ。
最初は皆さんに馴染まれないかも知れないが、
美味しい物を作って説得力を伴えば、
新しい造語が意味と物語を語り始めるだろう。
今から楽しみで仕方がない。
今は僕のアイデアが他の誰かに
先を越されない様に祈るばかりだ(笑)

だかららーめんとは!?

『自由』!!!

らーめん屋らしい、らしくない、
そんなものはそもそもなかった。
自分らしく表現をすればいい。
そして自由に楽しんでもらえれば。

好き勝手にめちゃくちゃをやる事を
自由とは言わない。
豊かでおおらか幸せで優しくて、
包み込むような包容力のあるものを
自由と呼びたい。

人々に愛されるものを自由と呼びたい。
そして僕も人々を愛したい。

らーめんとは一つの
コミュニケーションツールだ。

言葉を超えた、
音楽に近い表現方法だ。
時に最先端のポップミュージックで、
時に壮大な物語をはらんだオペラだ。
時にあえぎながら鍵盤をたたきつける
ジャズピアニストで、
時に涙をこぼしながら歌うラブソングだ。

そして今の物語を後世に伝える
民謡の様なものになりたい・・・。

僕の言っている事は壮言かも知れない。

でもそんな夢をずっと見ている。
僕はやっと本当のステージに上がろうとしている。

できたらそのステージ上で
お客様達と終わらないダンスを
踊り続けたい。

あなたが明日も優しくありますように。
あなたが明日もあなたらしくありますように。

LOVE & BEER!

哲学編はこれで終わります。

次回から少しブログらしい砕けた
内容になるかも?
未定ですが!

どうぞよろしくお願いいたします。

*写真は親友でプロのカメラマンの
ケイスケに撮ってもらった一枚。
海辺の町で出会い、今は大阪に
住むケイスケ。
金沢での再スタートも絶対ケイスケに
食べてほしい。
俺も大阪に遊びに行きたいな。