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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第71回

僕が海辺の町で過ごしていた
15年の間に金沢はらーめん屋が
増えた様に思う。

個人店もチェーン店も数多くある中、
石川県だからこそこの味、
という部分を表現している店は
あまりないように思える。

家系や二郎インスパイア系の店も
増えているから驚いたが、
石川県にしかない味というのを
僕は模索したい。

どんならーめんになるだろうか?
石川県でしか出来ないらーめんを
作るのだから、どこか親しみのある。
しかし誰もやってこなかった事を
やろうとしているのだから、
今までどこにもなかった。

そんな味を目指したいと思っている。

ただ、インパクトに走った
『どこにもない』
らーめんを作るつもりはない。

地域の人々の生活に寄り添う、
優しいらーめんが作りたい。
らーめんだけではなく、
店の成り立ち自体が優しくありたい。

幼い頃、僕は京都の左京区にある
一乗寺商店街で育った。
父親が務めていたスーパーマーケットを
中心にその商店街は形成されていた。
家の近所にはスーパーの関係者が
固まって住まいを構え、
僕は近所の人で知らない人は
いない様な環境で育った。

スーパーの若い社員さんのお兄ちゃんは
いつも読み終わった少年ジャンプを
家まで届けてくれたり、
八百屋のおじさんが大相撲に連れて行って
くれたり、町内対抗のソフトボール大会は
スーパーで父親の同僚だった人が監督を
務めてくれたりした。

とにかく優しくしてもらった。
僕の両親は共働きで忙しかったが、
僕と妹たちが寂しい思いを
一つもしなかったのは
こうした地域のお陰だと
今でも感謝をしている。

だから海辺の町で27歳で
独立デビューをさせていただいた時、
どうにかこの地域に貢献したいと
考えていた。

何をどうしたら貢献できるのか
解らなかったが、
近所の子供たちとは本当によく遊んだ。

キャッチボールをしたり、
僕の店の掃除を手伝ってくれた
みんなと銭湯にいったり、
肩車して近くで行われていた
屋外音楽祭りに遊びに行ったりした。

それは僕を育ててくれた
一乗寺商店街の大人たちへの
恩返しの意味合いが強かった。

今はその子達も大学生や社会人、
高校生になっている。

近所の鮨屋の次男坊ヒロキは
今年から麻布十番の名店の鮨屋で
修業を始めた。

最後にヒロキに
「俺、石川県に引っ越す事になったわ」
と伝えると
「マジっすか!?」
と驚きながらも
「俺、握れる様になったら
南さんに連絡するんで。
食べに来てください」
と言ってくれた。

その笑顔は幼い頃の面影を
残してはいるけど、
一人前の男の笑顔だった。

迂闊にも泣きそうになったけど、
こうして僕も誰かの成長を
見れた事が本当に幸せだと思う。

石川県でもそうした繋がりを
つくれたらいいな、と切に思う。

そんな人と人の心が繋がる、
優しい店を作りたい。

以下、次回に続く。

*写真はヒロキの兄貴、
ダイチです。この写真からもう三年。
ダイチもずいぶん男らしくなりました。
また会えるかな。
会いたいな。