金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第63回

このブログをすでに61回も書いてきて、
一度もらーめんや食べ物について
書いていない事に気がついた。
僕の以前までのらーめんを
食べた事の無い人なら、
このブログをらーめん屋のブログとは
思わないと思う。

ずっとこのブログを読んでくれて
いる人なら解ると思うが、
僕はらーめん屋に憧れて
らーめん屋になった訳ではなかった。
ほんの気まぐれというか、
たまたまのきっかけでらーめん屋で
働き始めた。
(詳しくはブログ第7回~第18回辺りを
お読みください)

そして素晴らしい出会いに導かれる様に
自然とらーめんの事が好きになり、
いつしからーめんを志す様になった。

そして修業を始めてすぐに
「自分のらーめんが作りたい!」
と思うに至り、
チャンスをいただいて27歳の若さで
店を一軒任して貰えるようになった。

世の中にらーめんファン、または
らーめんマニアと呼ばれる
(または自称する)方はたくさんいる。
僕はらーめん屋ではあるが、
世間的ならーめんの流行や情報、
店舗について、そうした事は
ファンやマニアの方の方が
絶対に詳しいと思う。

でもそれでいいと思っている。

僕はテクニックや情報を
知りたいのではなく、
そのお店がどんな世界観で
何を表現したいのかが知りたい。

だからまるで物語を
読むようにらーめんを食べたい。

若い頃に5年間金沢に
住んでいたとはいえ、
当時の僕は金沢のらーめんはおろか
食べ物全般に興味がなかった。

若かった僕にとって食事とはグルメ的な
意味合いを指すものではなく、
ただの『燃料』だった。
腹が満たされて働ければそれで
良かったのだ。

だから仕事仲間とらーめんを
食べに行っても味なんて
何も覚えていない。
とにかく人よりも早く多く食べて
仕事に備えるのが僕の食事だった。

そんな僕が海辺の町に移り住み、
らーめん屋で修業を始め、
「このままではまずい」
と自分で気付いて独学で料理の
勉強を始めたのだ。

ついでに言うと、
修業していたとは言え、
当時の修業先の作り方はとても特殊で、
今では再現不可能なのでらーめんすらも
ほぼ独学だ。

だから何が正しいとか
これが正統派とか全く知らない。

以前長くらーめん業界にいる先輩に
「お前の経歴だと家系は名乗れねえな」
と言われた事があるが、
名乗るつもりなどさらさらない。

自分のらーめんを、
自分自信を、
『○○系』等というカテゴリーに
当てはめるなんて僕には考えられない。

どこまでも僕は僕でしかなく、
誰かと同じ材料で同じ食材を使い、
同じレシピを渡されたとしたって、
僕というフィルターを通過した後は
僕のらーめんでしかあり得ないのだ。

24歳でらーめん屋に飛び込み、
自分の力の無さを思い知って、
らーめんについても学びながら
その他のジャンルの料理を片っ端から
作ってみた。

本屋で買って来たレシピ本を
最初のページから最後のページまで
一つ一つ作っていく。
もちろん専門店の様な事は出来ないが、
可能な限り食材を取り寄せては
書かれているレシピを再現した。

和洋中片っ端から手を出したが、
それは自分が「足りていない。
こんな事じゃ同世代のらーめん屋に
追いつけない」という
焦りと劣等感からだった。

この独学を重ねる日々は、
僕に独自性をもたらした。

それを海辺の町では
ほとんど表現できなかった。

いよいよ金沢で新しい表現を
始める事が出来る。

今はその事をとても幸せに思っている。

以下、次回に続く。