金澤流麺物語 第211回
こんにちは。
読者量は同世代の男性の中ではそこそこ多い方だと思うのですが、それを実生活や仕事で活かしきれずに失敗だらけの金澤流麺らーめん南の南大祐です。
先日、4月の開店から何度も何度も通ってくれている若い女の子と初めて話す機会がありました。
僕のこれまでの経緯や、若い頃の屈託、失敗と挫折、そして自己破産から親友の剛の出資によっての開業、そしてこれからの夢や目標なんかを話すことができました。
その時その女の子がこう言いました。
「私も南さんみたいに熱くなれるものが欲しいです。でも何をしていいのかわかりません」
その気持ちはとーーーーってもよくわかります。
僕は19歳から24歳までの石川県に住んでいた五年間、全く同じ気持ちを抱えて鬱々と暮らしていましたから。
でも僕がこの子よりも酷かったのは、その屈託を酒の力や若さからくる衝動であまりよくない方向へと発散していた事です。
ですから僕からしたらその子はとてもしっかりしていて羨ましいくらいなのですが、おこがましいと思いつつも【何かやりたいけど何をやっていいかわからない時】のひとつの対策として、【本をたくさん読む】というのはとても有意義だと思うと伝えさせていただきました。
本のジャンルはなんでもいいと思います。
純文学でも、エンターテイメントでも、サスペンスでもミステリーでも、歴史書でも、哲学書でも、有名人やスポーツ選手の自伝や伝記でも、ビジネス書でも、実用書でも、健康法やお片づけ方の本、映画の本、etcetc・・・。
なんでもいいと思います。
コツは浴びるように、そしてノンジャンルでひたすら言葉の海に溺れる様に読むべきだと思います。
本は、その一冊一冊に作者の経験や想いや人生が詰まっています。
自分一人の人生では経験しえないような話が山のように埋もれています。
友達や家族とだけ過ごしていたら知る由もない他人の人生観が見えてきたりします。
時には主人公に感情移入しながら読むのもいいと思います。
本の世界の中でその主人公になりきって、違う人格として読書の時間を生きるのです。
僕も10代の頃にドストエフスキーの『罪と罰』を読みながら自分が主人公のラスコリーニコフになったつもりで見たこともないサンクトペテルブルクを歩いているような気持ちになったり、夏目漱石の『三四郎』を読みながら明治時代の東京を歩いているような気持ちになっていました。
すると自分の中に何か新しい自分が生まれそうな気がしてきます。
でも、本を読んだだけでは生まれそうな気がするだけで、結局は生まれません。
読んだ後は、街に出て人に会うことだと思います。
人に会えば同じ思いを抱えて共感し合える人もいれば、全く相容れない感性の持ち主とも出会えます。
自分の中の自分をたくましく強く育てていくのは、結局は他者との関係性だと思います。
その他者との向き合う自分を作るための、読書。
そう思えば読書ってなんて楽しいのかな。
その中で人との差異や自分の本当に気持ちのいい場所や時間、やりたい事なんかがみつかったら、もう人生は拓けたも同然。
夢を見つける事ができた事、その事が本当に幸せです。
熱くなれる夢を見つけられるか、見つけられないか、は僕にはわかりません。
でも僕は夢が欲しいとひたすら足掻きに足掻いて、そしてたくさんの人の支えがあってやっとらーめん屋になれました。
とにかく足掻くこと。
そして読書はその足掻きを常に力強くしてくれると思います。
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あれ?
なんか人生訓めいた恥ずかしい内容になってしまった!!
読書について。
次回に続きます!