金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第191回

男の子だったら、誰だってヒーローに憧れますよね。

40歳というもう中年と呼ばれてもおかしくない年齢になった僕だって、いつだって誰かに憧れて追いつきたい、追い越したい、って思って日々過ごしてます。

ヒーローが仕事や人生の原動力になったりしますよね。

188回の回で登場したツエーゲン金沢の馬渡選手。

馬渡選手は金沢中のファンから愛されています。

女性ファンは「カッコイイ!」と。

男性ファンは「プレーが熱い!」と。

子供たちは「馬渡選手!馬渡選手!」と目を輝かさせて。

みんな馬渡選手を語る時、本当に素敵な笑顔で馬渡選手について話します。

そんなみなさんを見てると「プロアスリートって、こんなにも人に夢や希望を与えられる仕事なんやなぁ」と感じ入ってしまいます。

僕が辻堂で店を始めた27歳の頃、いつも親子で食べに来てくれていたお客様の当時5歳くらいのお子様が、いつも立ち上がって僕の仕事を見ながら、麺をお湯から上げる仕草を一生懸命真似してくれてました。

今そのお子様だった彼はきっと高校を卒業したくらいになると思います。

どんな未来を歩いているのでしょうか?

彼が「ラーメン屋になる!」なんて言ってくれてたらそんな嬉しい事はありませんが、子供の頃のキラキラした気持ちを持ち続けて大人になって欲しいし、子供の頃の夢の1つにラーメン屋が入っていてはしいなぁ、なんて淡い期待を今でもずっといだいています。

そんな僕にも幼い頃のヒーローがいました。

僕は京都生まれの京都育ち。

一乗寺商店街で育てられ、近所のいつも遊んでくれてたおじさんやお兄ちゃんたちはみんな『阪神ファン』でした。

あまり野球に興味のなかった僕は、1985年に阪神タイガースが優勝するまでイマイチ野球の事が分かっていませんでした。

「大祐はどこのファンやねん」と近所のおじさんに聞かれても、「うーん?巨人?」と意味もわからずに答えてたくらいでした。

それが1985年。

僕が小学三年生かなぁ?

阪神タイガースが日本一になって、町内のオヤジたちも、学校の友達もとんでもないお祭り騒ぎになりました。

当時阪神ファンでもなんでもなかった僕は、「とりあえず周りに合わせておこう」みたいな消極的な感じでみんなに合わせてわっしょいわっしょいとやっていうちにいつの間にか阪神ファンになっていました。

そんな中で僕は誰に憧れたかというと

子供に一番人気の真弓選手。

・・・ではなく。


三冠王ランディバース。

・・・でもなく。


木戸修

あ、すいません。


木戸違いです。

・・でもなく。


断然川藤幸三さんでした。

代打の切り札。

友達に習って少年野球チーム『一乗寺ホーマーズ』に入団したのはいいのですが、ホーマーズはなかなかの強豪で同級生はもとより下級生も実力者揃い。

僕は全くレギュラーにはなれませんでした。

まずフライが取れないし、打席に立っても三振ばかりでしたから当たり前ですが。

とにかく野球のセンスはまるでありませんでした。

しかし当たればよく飛んだので、たまーに代打で活躍しました。

たまーに。

六年生になっても補欠だったので、自分で「補欠やねん」というのが恥ずかしかったので、「俺は代打の切り札や!川藤幸三や!」と自分で言っていました。

まわりは本当に野球の上手な友達ばっかりでしたから、みんなは僕のことは相手にしてなかったのですが、僕は川藤さんが活躍するのが大好きでした。

戦力外通告されても「大好きな阪神におれるんなら金なんかいらん!」とか言って泣いたり、チームメイトがバント失敗したら「誰や!打つしか能の無い男にバントさせたんわ!」とか言って庇ったり、(ちなみに監督だった吉田さんが「すまん、わしや」とベンチで答えたそうです。すでに漫才。)僕はプレイヤーとしてよりも、人間味に惹かれていたんやなぁ、と今なら思います。

昔から人間味のある人が好きです。

完璧なヒーローより、どこかツッコミどころがあるけど、肝心な所でバシ!と締めたり、その人の周りに人が集まったり、そんな味わいのある人が好きです。

だから今でも川藤さんが大好きですし、僕もそんな人物になれたらな、なんて思います。

そしていつか僕の姿からラーメン屋を志す若者が出てきたら、ほんまに幸せですよね。

そんな日を夢見て今日も頑張ります。

明日もあなたが優しくありますように。

明日もあなたがあなたらしくありますように。

LOVE & BEER!

そして、らーめん♪