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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第145回

僕は自分が高校生の頃に
発刊していた雑誌
『SUCK YOUTH』を
一冊も持っていない。

金沢から湘南へ引越す時に
自分で全て捨てたのだ。

24歳目前の僕は完全に
人生を迷走していた。
過去を捨てて自分の事を
知らない人に囲まれて
人生をやり直したいと
思ったのだった。

だから大切な青春の
SUCK YOUTHを
一冊も持っていない。

だから当時のSUCK YOUTHに
掲載したバールの森さんの
インタビューの内容は
正確には思いだせないし
もう解らない。
(今でも持っている方がいたら、
いつか読ませてください)

森さんはこんな事を言っていた。

「人生は博打や。
博打の打てへん奴は
ろくでもない」

「若い人は思う通りに
生きたらええねん。
誰の人生やねん」

「ブラジルが好きやねん。
何回も何回もブラジルに行って
向こうの雰囲気を学んでん。
だからブラジル喫茶にしてん。
ほしたら客に言われてん。
マスター、ここ京都でっせ」

僕は森さんの生き方に
『自由』
を感じていた。

僕も森さんの様に
自由に生きたい。

その思いは
18歳の僕に
確かに刻まれた。

僕は
『店を持ちたい』
と思った。

しかし僕には森さんが
惚れたブラジルの様な
好きになる対象がなかった。

らーめん屋で生きて行こうと
決めるまで多くの回り道をした。

でもらーめん屋で生きて行くと
決めたら後は早かった。

18歳で感じた森さんへの憧れは
24歳でらーめん屋として蘇ったのだ。

僕は『自分の店が持ちたい』とは
考えなかった。
立場なんてどうでもいいから
『自分のらーめんが作りたい』
と身悶えをするくらいに
自分だけのらーめんを
作る事を求めた。

だからこのブログの
初期に登場した
Aさんの誘いにすぐに
飛び付いたのだ。

そして今となっては
そのあまりにも若過ぎて
性急過ぎる判断を恥じてはいない。

自分らしく生きて行きたい。

その想いは間違いなく
洛北高校とバールカフェジーニョと
パンクロックとビールとサンバと
フェジョアーダから生まれたのだ。

未成年だったけど!

以下、次回に続く。