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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第144回

2/15の京都での講習会のついでに
会って来た人達の中で、
まさに僕のルーツと
呼べる人物にお会いしてきた。

その中でどうしても会いたかった人がいる。
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我が母校、洛北高校から徒歩5分くらいに
ある小さな喫茶店(ブラジリアンバル)
『Bar cafezinho』のマスター、森さんだ。

バールカフェジーニョと読む。
僕たちは短く『バール』と呼んでいた。

高校時代、毎日の様に入り浸っていたお店だ。
ここに行けば常に仲間がいた。
一人で行ってもいつも誰かに会った。
そして時々人生の大先輩達の
経験豊富な話も聞かせてもらえた。
お金のない僕たちはジュース一杯で
何時間も粘る様な
『儲けにならない』
客だったが、
マスターは嫌な顔を一つもしなかった。

当時僕は18歳。
マスターは46歳くらいのはずだ。

僕たちはお世辞にも

マナーの良い客ではなかった。
大声でしゃべるし
大騒ぎもするしで
やりたい放題だった。

それでもいつも森さんは
ニコニコと僕たちを見守り
「ここは治外法権や。
ポリさん(森さんは警察をこう呼ぶ)が
アカンいうても俺がええと言えばかめへん」
なんてよく言っていた。

僕はラグビー部を引退した後、
雑誌作りに熱中した。
内容は高校の部活で活躍した
同級生のインタビューや、
留学生のアメリカ人の友達の
インタビューなど可愛い物もあれば、
生意気にもバーやカフェのマスターの
インタビュー、ファッションページ、
ハードコアバンドのインタビュー等もあった。

若さゆえの行動力ほど恐ろしいものはない。

僕は怖いもの知らずで
大人の世界にどんどん首を突っ込んで、
気付いたら京都のカフェやバー、
洋服屋、スノーボードショップなど
7店舗で発売するまでになった。

つまり雑誌で商売をしていたのだ。

これは高校では大いに問題になった。

だって高校生が自分で作った雑誌を
販売しているのだから。

そして下級生の中では僕の雑誌を
手に入れる事が一種の
『ステータス』
になっていたそうだ。

卒業と同時に廃刊したのだが、
これは大いに残念がられた。

僕にとって
ラグビーとバンドと同じくらいに
大切な青春だった。

その雑誌に載せた森さんの
インタビュー内容に当時18歳の
僕は人生を左右するくらいの
影響を受けた。

以下、次回に続く。