金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第143回

みゆきちゃんはネット上で
「あれ?大さん?」
と僕を発見してくれたそうだ。

そして僕のブログを読み進める中で
共感する部分が多々あったそうで
僕に連絡を寄こしてくれた。

みゆきちゃんは
24歳までOLとして働いていたそうだ。
そこでの仕事生き方に疑問を抱き、
一から伝統工芸を学び直す事にしたらしい。
なぜそれが清水焼という伝統工芸だったのか?
みゆきちゃん自身は当時は
伝統工芸にこだわりはなかったそうだ。
とにかく自分でデザインをして
作品を手掛ける仕事に就きたい、
という情熱があった。
その中で清水焼の窯元で
働くという選択肢が出てきたという。

僕は24歳まで肉体労働をしていた。
それまでバンドをしたり
詩作をしたりしていたが
どれもものにならずに
モヤモヤした時期を過ごしていた。
たまたま入ったらーめん屋で
『自分の作った物で人さまに
喜んで貰える喜び』
を覚えてらーめん屋で
生きて行く事を決めた。

どこか似ているのかも知れない。

僕が27歳で初めて店を持った頃、
彼女は結婚をした。
そして前後はするが31歳で
僕が店の移転をした頃、
彼女は『めおと屋』を開業した。

僕は『らーめん屋の地位向上』を
未来の目標に持っている。
みゆきちゃんは『伝統工芸の
職人が安心して暮らせる窯元』の
設立を未来の目標に持っている。

色んな共通する思いから、
みゆきちゃんは僕の事を
応援してくれていた。

メールでは何度もやり取りしていたが、
実際に会うのは20年ぶりだった。

僕はめおと屋を訪れて
懐かしい話やお互いの
近況報告を話して
楽しい時間はあっという間に
過ぎて行った。

僕はこのみゆきちゃんとの
縁も形にしたいと考えた。
みゆきちゃんからの申し出もあり、
今回のらーめん屋での
惣菜の器にみゆきちゃんの
作品を使わせて貰える事になった。

IMG_1460

これが届いた器だ。
・・・手に取った僕は感動した・・・。

この繊細かつ質感のしっかりとある
食器を同級生が作っている。

そして僕のルーツである
京都の伝統工芸を使えると言う
喜び・・・。

古くからの友人が
こうして自分のステージで活躍していて、
お互いの仕事を尊敬しあい
こうして一つの形になる・・・。

チキンノットのエプロンを
使える事も同じ事だが、
様々な魅力のある人や物に支えられて
金沢流麺のスタートは
とんでもなく力強い物になろうと
している・・・。

話は京都からは離れるが、
らーめんに使用する丼にも
あるサプライズがある。

『京都というルーツ』の
シリーズの次のシリーズで
書く予定をしている。

どうか楽しみにしていていただきたい。

みゆきちゃん、
ほんまにありがとうな。

毎日、開業の準備を続けていて
時々不安を覚える日もあるけど、
この器を手にするたびに
「よし、やってやる」
という強い気持ちが沸いて来るよ。

必ず成功させて
恩を返すからね。