金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第139回

以前にも書いたエピソードだが、
今回の京都での全日本食学会の
講習を受けて感じ入って思い出した
エピソードがある。

恐らくこのブログをずっと
読んでくれている方でさえ
覚えている方は少ないであろうから
もう一度書いておきたい。

僕は24歳だった。
親友のモトイを頼って湘南に
転がり込んできたばかりだった。

モトイの部屋で一緒にテレビを観て
酒を飲んでいた時期だから、
僕がまだ自分のアパートを借りて
いない時期だったのではないだろうか。

フランスのニースで松嶋圭介さんが
ミシュランで1つ星を取ったニュースが入り、
僕とモトイは松嶋さんの
ドキュメンタリー番組を観ていた。

モトイはすでにコックとして
5年ほどのキャリアを積んでいたが、
まだまだ駆け出しの頃だ。

僕はと言うと・・・・

ただのチンピラだった。

そんな時、モトイがおもむろにこんな発言をした。

「俺はな、こういうレベルで戦いたいねん」

モトイは昔から、
それこそ高校生の頃から
高すぎる目標を口にしてきた。
しかしモトイが口にすると、
その高すぎる目標は
決して高く感じなかった。
モトイの料理への熱量は
その言葉を裏付ける説得力があった。

「まぁ、こいつならいくやろな」

と僕も自然と思った。

そしてその13年後、
モトイは本当に星付きの
シェフになった。

周りはもちろん大騒ぎになった。

俺達の身の周りから
スターが誕生したのだから。

だが僕は冷静だった。

「なに騒いでるねん。
モトイが星を取るなんて
最初から解ってた事やん。
あいつの戦いはここから始まるんやん。
でも騒いでるお前らに敢えて
言うといたるわ。
どや!
俺のツレは凄いやろ!!」

僕はそういう気持ちだった。

僕はモトイよりも一足お先に
27歳で店を持てた。
ラッキー以外の何物でもない。
しかしそのラッキーさに
実力が伴ってなかった。
僕の店が繁盛店になるまでには
ずいぶん時間がかかった。

フランス修業に旅立つモトイが
最後に当時の僕の店に食べに来てくれた。
その時のモトイの言葉を
僕は一生忘れない。

「・・・美味いもんやねぇ・・・」

モトイは僕のらーめんに何を感じて
厳しいフランス修業へと旅だったのだろうか?
もうきっとモトイ自信も覚えてないだろう。

もうひとつモトイの言葉で
忘れられない言葉がある。

散々苦労を重ね、
モトイはやっとの思いで
故郷の京都に34歳で
レストランを出した。

その時の彼からの手紙にはこう書いてあった。

「たくさんの人の支えがあって
店を出す事が決まった。
これからも親友であり
ライバルでいてくれ」

僕は震えた。

モトイの苦労を
それなりには知っているつもりだ。

僕ごときが、
親友でいる事は出来ても、
ライバルでいる事は出来るのだろうか?

僕は大きな不安に包まれていた。

以下、次回に続く。