ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第92回

なぜ海辺の町での僕の店はあそこまで
熱狂的な支持を受ける事が出来たのか?

今まで自分でも不思議だったが、
今ならなんとなく解る気がする。

12年前に開店して4年半後に僕の店は
裏通りに移転した。
以前にも書いたが、当時の会社の方針で
らーめん屋は会社の流れから切り捨てられた。
『らーめん屋はこれ以上売上も見込めないし、
大祐は人から嫌われるから一人でやらせておこう。
元のらーめん屋の場所は居酒屋にして稼ごう』
というのが会社の方針だった。

そこで僕は奮起した。

売上は会社の目標の約三倍。
移転時の約6倍にまで押し上げた。

人からは
「この町で一番おかしな場所にあって
一番客を集めてる」
等と揶揄された。

それほどまでに誰もが失敗すると
思っていた立地だったのだ。

ではなぜそこまで売上を伸ばせたのか?
そして週に5回も通ってくれる様な
熱狂的なお客様を生むに至ったのか?

恐らくお客様は前回のブログでも
書いた様に僕を応援しててくれたから
ではないかと思う。

当初、その移転する店はカウンターのみの
店になる予定だった。
それは僕の希望だった。
バイトも使わずに一人でやれ、
というのが会社の命令だったから、
ボックス席があると一人では
店を回せないと判断したからだった。
そしてその判断は受け入れられ
工事も進んでいた。

そこに社長が現われて何の考えの変化か
「ボックス席を作れ」
と言い出しトップダウンで決定した。

いきなり過去『一人では回せない店』に
なっていしまった。

予想はしていたが、
一人で回すのは大変だった。
一度に作れる能力を超えた
座席数を用意しているため、
満席になると全くらーめんが出なかった。
とにかくお客様を待たせた。

僕は必死だった。
毎日毎日お客様に謝りながら、
一人で接客して
一人で調理して
一人で配膳して
一人で食器を下げて
一人で洗い物をした。

空調も整っていない店で
お客様も僕も大汗をかきながら
営業は続いた。

恐らくそんな僕は誰から見ても
『大変そう』
だったに違いない。

時々友達が無給で
皿洗いをしてくれたりした。

味ももちろん頑張って改良した。

そうしたドタバタは一年ほど続いた。
少しずつお客様が増えだした頃、
とある現象が起き始めた。

その現象とは・・・。

以下、次回に続く。

*ちなみに写真は4年ほど前の物なんですが、
これお客様に撮っていただいたもので、
このポーズはお客様のリクエストだそうです。
僕がお客様と一言もしゃべらなかった時代です。

この写真、撮られた記憶がないんですよね。
ネット検索してたらでてきて、「え?!何これ?」
と思って観てみたら、どなたかのブログに
載っていました。
そこには「スタッフ急募」と書かれていたので、
この方も心配してくださっていたのですね。
ありがとうございます。
この頃は2012年くらい。
店の人気がうなぎ上りになり始めた頃です。
なんか急に懐かしくなった。

もうどなたかは解りませんが、
貴重な歴史を振り返れました。
ありがとうございます!