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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第82回

こんにちは。
今回はまず2枚の写真をご覧ください。
ブログ用20160102剛兄貴南2
この写真は僕と剛が22歳の頃にやっていた
バンドのライブ中の写真です。
ちなみに中央が僕で、
奥のドラム担当が剛です。
そして、左側のベース担当が剛の兄貴の
俊(たかし)さんです。

ブログ用20160102剛兄貴南
そのライブが終わった後の写真です。
一番左が22歳の頃の僕。
一番右でおどけているのが剛。
そして中央が俊さんです。
ここではアニキと
呼ばさせていただきましょう。

僕とアニキは僕が19歳でアニキが21歳で
同じ引越屋のスタッフとして出会った。
僕たちはお互いに音楽の話をする友達に
飢えていたのか、知りあうなり意気投合して
すっかりつるむようになる。

ほどなく僕たちはロックバンドを
結成して二人でロックの話ばーーっかり
していた。
今思うとよくもまぁ飽きずにあそこまで
ロックの話ばっかしできたなぁ、
というくらいお互いにずーーっと
しゃべり続けていた。

僕たちはその頃からの仲間だ。

今まではお互いに
『遠く離れて頑張ってる仲間』
だったが、
こうして僕が金沢に帰ってきてから
頻繁に会う様になった。

酒を飲んではまるで20代の頃の様に
即興で歌を歌ったりラップをしたりして
遊ぶのは本当に楽しいし、
この年齢になってこんな子供みたいな
遊びを本気でやれる人は
僕にとってもアニキぐらいのもんだから、
やっぱ仲間って素晴らしいと思う。

そんなアニキは一時期本気でうどんに
打ち込んでいた。
職人として修業していたのだ。
某店では店長まで務めた。
様々な事情があって今は数年ほど
うどんからは離れているという。

僕はアニキがうどん屋で頑張っている
という話は聞いてはいたが、
アニキがうどん屋を頑張っていた頃、
僕はほとんど石川県に帰ってくる
時間が持てなかったので、
結局食べずじまいだった。

年末に剛が今住んでる川崎市から
石川県に帰ってきているという事で、
二人今後のミーティングをしていた。
すると剛が

「南、アニキがうどん打つって。
食べにくる?」

というので僕は

「マジ!?行く行く!」

と断る理由がないので
食べさせて貰う事にした。

年越し蕎麦ならぬ
年越しうどん。

しかも昔からの仲間が
打ってくれるうどんだ。

期待しないわけがないし、
わざわざ昼から仕込んでいるなんて
その心が本当に感動した。

そして僕は五十嵐家に到着した。

以下、次回に続く。