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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第75回

ここまで書いてきた内容は、
『らーめん哲学』というよりかは
『らーめん屋哲学』と言った方が
良いかもしれない。

どんならーめんを作りたいか、
ではなくて、
どんならーめん屋になりたいか、
を書いてきた。

具体的な味に関しては
まだ公表はしない様にしたい。

材料や食材や単純に
『さっぱり』とか『濃厚』とか
書いてしまうと、
初めて食べた時のマジックが
効力を失ってしまう。
時期が来たら試作の内容も
出していきたいと思うが、
今は伏せさせていただきたい。

今回の哲学編の最終回として、
らーめんとは何か?
という事を僕なりの見解で書いておきたい。

らーめんとは皆さんがご存じの通り、
スープに麺が浮いた料理の事である。
そばやうどんもつゆに麺が浮かんでいる。
しかしそばやうどんは麺その物を指す。
パスタも麺の事を指した料理名だ。

だから麺が主役でつゆやソースは
麺を美味しく食べるもの、
という解釈が出来る。

でもらーめんは違う。

どちらかというとスープに注目が行きがちだ。
いまでこそこだわりの麺を打ち出す店も
増えたが、やはりらーめん屋はスープに
頭を悩ませる事が多い飲食店だと思う。

先にスープがあり、そこにどの麺が
合うのかを探していくパターンが多いの
ではないだろうか?

ご他聞に洩れず、僕も先にスープを考える。

そもそもらーめんて何だろう?
今でも『中華そば』『支那そば』と名乗る
店も多いが、その言葉から連想されるのは
中国料理だろうか?

だが中国料理にらーめんの原型になるものは、
あまりない様な気がする。

ではらーめんの元祖とはなんだろうか?

一般的に日本で一番最初にらーめんを
食べた人物は水戸黄門とされている。
それは1665年と言われれいる。
しかしそれは今日的ならーめんを
意味するものではないと僕は思っている。
中華麺の特徴とは、『かん水』によって
生まれる独特の麺のコシだと言われている。
このかん水の代用になるものをレンコンから
作り出し、うどんに混ぜたものを明の国から
亡命してきた朱舜水が献上した、
と記録がるそうだ。

つまりここでは『スープに入った麺』
ではなく、麺そのものが供されたのだろう。

今日的ならーめんとしては諸説あるものの、
僕は戦後に博多や横浜、札幌あたりに
いた国内残留中国人達の炊き出し(豚骨や
鶏ガラを煮立てたもの)にヒントを得た
日本人が真似をして始めた
のではないかと思っている。

だかららーめんは伝統から
生まれたのではなく、
必要と必然から庶民の手によって
自然発生的に生まれた
のではないかというのが、
僕のらーめんの起源への
一つの考えだ。

以下、次回に続く。

*意外と長くなっちゃったので、
最終回は二階に分けます。

写真は親友沢村さんと
ももいろクローバーゼーーーット』
やってる僕です。

沢村さんは京都に住んでるのに
しょっちゅう僕の店に来てました。

いつもありがとうね。