金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第62回

悪夢を見なくなった。
何年も何年も見続けていた
悪夢を全く見なくなった。

それは不思議な感覚だった。

金沢の実家で暮らし始めて、
様々な事を始めた。

まずは引越屋でのバイト。
ダイエット。
金沢のらーめんを食べ歩く事と、
金沢を見て回る事。
そして読書。

こうして書いてみると、
ごくごく当たり前の事ばかりなのだが、
海辺の町での店長生活では
どれもこれも出来なかった
事ばかりだった。

毎日15~20時間ほどの労働と
ほぼ休みのない毎日の中で、
僕はおかしな『常識』を作り上げて
しまっていた。
それは多分に僕が店長を務めていた
会社の影響だった。

プライベートなど何もない
毎日の中でおかしな常識を
作り上げて自分を正当化しないと
心が持たなかったのだ。

会社は「彼女とセックスをしていても
会社からの電話は最優先で出ろ!」と
言われていた。
そうしたプライベートのない日々を、
「俺は誰よりも働いている。
プライベートがない事は責任で
誇らしい事」
等といった極端な考え方をしていた。

そこを辞めてしばらくは
「苦しかった毎日からやっと
抜け出せた・・・。
しかし僕は負けたのか?
僕が間違っていたのか?
僕が弱い人間なだけで、
他の人ならもっと成果を
出したのか?」
と自分と会社とどちらが
正しかったのか?という
思いに苦しめられていた。

とある日、
たまたま引越屋のバイトが休みになり、
僕は朝からそこそこ長い距離を
ジョギングをして、
昼からは気になるらーめん屋に
らーめんを食べに行き、
帰りに近所のいつもいく
コーヒーショップで
本を読んでいた。

その時にふとある思いが浮かんだ。

「引越屋で働いて、
運動して、
文学作品なんか読んじゃって、
コーヒー飲んで、
まるで22歳の頃に戻ったみたいやな」

なんだか自分がまるで17年前に
タイムスリップしたかの様な
気持ちになった。

「僕ってもしかして何も変わってないのかな?」

でも明らかに違う。
22歳の頃の自分とは明らかに違う。

何が違うのかを考えていた。

あの頃の僕は『俺は人とは違う』
『俺には人とは違う何かが出来る筈だ』
『俺はこんなものじゃない!』
『今に見ていろ』
と自意識ばかりが強かったのだが、
今は特別な事なんてなくていい、
いつからーめん屋として再起を果たし、
好きならーめんを作って人々に
喜んでもらえたらそれでいい、
と穏やかに思える自分がいた。

僕は『何者かになりたい』と
あがいていた自分に、
とても自然な方法でなれていたのだ。

僕は僕だし、特別な何者かじゃなくて、
すでに僕としてここにいる。

若い頃の根拠のない自信ではなくて、
心の奥から沸き起こる当たり前の
自信が今の僕にはある。

22歳の僕に言ってあげたい。
「お前はらーめん屋になれるんだよ」
って。

この自信は、
海辺の町での15年間が、
そしてあまりにも苦しかった
店長時代の12年間が作ってくれたのだ。

そう思うと、
僕と会社のどちらが正しかったのか
なんてもうどうでも良くなっていた。

もっと言うと、
どっちも正しい。
誰も間違ってない。
でも僕はあの場所にいたら
いつか窒息死していた。
だからそっと場所を移した。
会社にとっても僕じゃなかった。
だから最後に
「辞めてくれて清々する」
という言葉が出た。

僕たちは必然的に別れたのだ。

だから、全てが僕の人生で
全てが僕のステージなのだ。
だから今なら言える。

ありがとう、と。

そして僕は悪夢を見なくなった。

昨日読んでた本にこんな一節を
見つけたんだ。

『人生と仕事はダンスのようなもの』

この一節を見つけた時に
ブログ第2回で紹介した
宮沢賢治詩篇を思い出したんだ。

『衝動のようにさえ行われる
すべての農作業を
(中略)舞踏の範囲にまで高めよ』

こう言うのを、
奇跡って呼んで良いかな?

僕が幼い頃から好きだった詩篇の一節も、
39歳になって読んだ本にも
同じような事が書かれていて、
僕は10代の頃と同じように
興奮して感動している・・・。

悪夢は去った。
そして未来圏から風が吹き始めた。
さぁ、アミーゴども。
踊ろう!

明日もあなたが幸せでありますように。
明日もあなたがあなたらしくありますように。

LOVE & BEER!