ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第45回

銀行の融資の窓口に
行くのは初めてだった。
事業の融資なら銀行からお金を
借りるハウツー本や開業する為の
ビジネス書や事業計画の本を
読めばある程度の知識はつくと思う。

しかし架空のローンを組む
やり方なんて誰も教えてくれないし、
そもそもがバカ正直な田舎者の
性質の僕にとって銀行を
『騙して』
お金を借りるなんて、
まるで今から数学オリンピック
挑戦するくらいに途方もない事だった。

僕は正直な気持ちを告白すると、
自分が今から犯罪に手を染める様な
罪悪感を感じながら融資担当の
銀行員とカウンターを挟んで向かい合った。
しかし相手は沢山の企業や経営者を
相手にしているいわばその道の
エキスパートだ。
何の為にお金が必要なのか明確に
伝える事の出来ない僕など
はなから相手にはしてもらえなかった。

最後は誰でもお金を借りられる
カードローンを薦められて
あしらわれて追い返された。

僕はここでカードローンを
組むことになる。
50万円だった。
そしてその金はHさんに
渡す様に指示され、
その後どの様に使われて、
どの様に処理されたのかは
何の報告もなかった。

Bさんに言わせると、
これは僕から会社への
『投資』
との事だった。

自分の責任として会社に投資をして、
そして会社の売り上げを上げて
自分の給料を上げていく、
という話だった。

だがそれがどの様な結果が
でれば僕たち社員の給料があがり、
僕たちの『投資』はプラスに
なるのかは全く教えてもらえなかった。
僕のあの時の50万円はどこへ行って
何に使われたのだろう?

そこから僕は毎月ローンの返済を
ただただ行う事になる。
そしてこの後、
様々な局面で会社にお金を出したり
何のためか解らない負担を数多く
強いられる事になっていく。

Bさんの『潰し』という理論テクニックに
誰一人敵うわけなく、
皆が一様にお金には苦しんだ。

皆が最も苦しんだのは車のローンだった。
会社名義の車(それもそこそこの高級車)の
ローンを社員に払わされる。
その間その車は払っている社員が乗るのだが、
その車は結局は自分の物にはならない。
一定の時期が来たら、会社が売って
その金を頭金にまた会社名義の車を
買う事になる。

僕は自分が一度も運転しなかった
高級車のローンを70万円ほど払った。
他のメンバーたちは150万から
200万円以上払った挙句、
その車を所有する権利もなく
いつの間にか会社の判断で
また売られたりしていた。

だからみんなが一様に
「俺の払った車代は
なんだったんだ?」
と虚無感に苛まれていた。

ある社員と
「同じマンションの
同じ階の部屋に住め」、
と命令が出ると、
またカードローンを組んで引越資金を
借りたりした。
必要な厨房機器や宣伝費を負担して
その領収書が適切に処理されなくて
またローンがかさんだりした。

こうして僕はいつの間にか
多重債務者となっていた。

僕はいくつかのカードローンから
お金を借りる事になったが、
大なり小なり社員は全員が
お金で苦労していた。

なぜならあらゆる責任を
Bさんにお金を払って償う、
という習慣がついて
しまっていたからだ。

その頃には色んな感覚が
麻痺し始めていた。
お金を見てもそれはただの
紙切れだった。

よく大金を手にした人が
お金を荒く使うエピソードを
良く聞く。
僕たちは逆だった。
お金はただの記号だった。
どうしたって金銭的な余裕の
生まれない中で借金を繰り返せば、
お金なんてどうでも良くなってくるのだ。
今の生活では借金を清算しようと
頑張ってみても、
返している段階でまた何か
Bさんの逆鱗に触れて罰金を
払う事になる。
この環境を逃げ出したくても
Bさんとの話の前では
僕たちは逃げれない気持ちに
なっていく。

最後は無感覚になるしかなかった。

何も感じなくなってくるのだ。

らーめん屋の移転工事と居酒屋の
拡張工事は順次行われていた。
工事もほとんど自分達で行った。
みんな毎日の営業や仕込みに加えて
工事に参加するから、
体も心も疲れ切っていた。
工事を終えて一息ついていた時に
Bさんの逆鱗に触れる事があり、
朝まで説教されて不眠でまた
仕事をする、と言う事が
しょっちゅうあった。

今までのブログに比べて
この『移転時代』は
具体的な描写が少ない。
それはなぜBさんが激怒
ばかりしていたのか?
何が問題だったのか?

が全く思い出せないのだ。
思い出せないくらい、
どうでもいい事やほとんど
Bさんの妄想の産物の様な
物で怒られ罰金を払う事が
多かった。

第3者は「なぜそれに応じるのか?」
と疑問に思うと思う。
それはBさんと共に働いた人にしか
解らないとしか言いようがない。
あの本人の言う所の『潰し』に
僕たち一般の人間が敵うわけがないのだ。

こうした一連のカードローンが
僕の自己破産への第一歩へとなる。

そしてらーめん屋は移転を果たした。
その頃にはBさんは味にも口を
挟むようになっていた。

「魚介を加えてガラを1/3にしろ」

という命令に僕は悩まされた。
やっと4年かけてスープの味が
安定してきて客足も伸び始めた
所だった。
そうした拙速な変化は
不安要素になる。

しかし命令は命令だ。
僕はいかに今までよりも
少ないガラの量で少しでも
美味しくなれるか努力し続けた。
しかしお客様は敏感だった。

味を変えて移転したらーめん屋は、
一気に客足が半分以下にまで
落ちたのだった。

以下次回に続く。