金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第42回

今回のブログからまた過去を
振り返る物語に戻ります。
内容はブログ第38回からの
続きになります。
どうぞよろしくお願いします。

 

 

僕たちの会社はBさんの会社に
吸収合併される形になった。
代表取締役がBさん。
そしてAさんは取締役に収まった。

Aさんは居酒屋に勤務する必要は
なくなった。

これからは管理職としてのみ
働くこととなった。

そしてAさんとBさんがともに
行動することが増えるから、
Aさんは勝手な事が出来ない、
という形になった。

Bさんは元々僕たちの街よりも
もっと大きな街で音楽関係の
会社を営んでいた。

大きな外国産の車を乗り回したり
してたくらいだから、
相当稼いでいたのだろう。
だが僕は人がどれだけ稼ぐ、
等といった話にはまるで興味が
なかったし羨ましいとも一度も
思わなかった。

これは僕にとって良い部分と
悪い部分と両方ある事なのだが、
とにかくお金に興味がなかった。

良く言えば無頼。
悪く言えばとにかくだらしない。

カッコよく言えば
「人生の価値は金じゃない」
ダサく言えば
「金銭感覚がまるで身についていない」
そんな感覚だった。

らーめん屋で修業を始めた頃、
コツコツと貯金をしていた時期があった。
使う事がなかったのだ。
自然とお金は貯まったのだが、
必要にかられてその貯金を使い
きってもなんとも思わなかった。

また稼げばいい、とか、
金は天下の回りもの、とか、
なくてもどうにか生きていける、
といった考えが僕には強くあった。

だから大きな車に乗って
香水の匂いをぷんぷんさせて
若い取り巻きを連れて歩く様なBさんと、
それについて回るAさんに
嫌悪感すら覚えた。

僕は小説家の坂口安吾の様な
金にも物にもこだわらない
生き方に憧れていたのだ。

だから必然的にといっては
おかしいが、僕は敢てだらしない
みなりで過ごす様になっていた。

スウェットのズボンに雪駄
作業用のドカジャンに丸坊主
無精髭で出勤し、
仕事が終わったら酒を飲んで
寝る様な毎日だった。

それはAさんの下で働いている中で、
あまりに少ない給料への諦めの
感情もあった。

どうせ服も買えないし、
女の子と遊びに行く機会も
ないし、ほな有り金全部で
お酒飲んだれ、という
荒れた気持ちもあった。

僕は29歳になっても
将来へのビジョンを
描けてなかったのだ。

Bさんの金持ち然とした
振る舞いには鼻白む思いでいたが、
吸収合併した直後は、
「もしかしたら、これで良かったのかな」
と希望を感じ始めていた。

Bさんが僕に直接電話してきたのだ。
「これからは一緒の会社になるから、
色んな事を話し合っていこう。
正直、みんなの給料も少ないと
思っている。
仕事に応じてきちんと出そう。
そして俺たちの元の会社と、
そっちの今までの会社の通帳は
分けよう。
そっちのお金は一切触らない。
将来的には社会保険も完備
する事を目指そう。
お前たちは店の業務で忙しいから、
店の工事や設備については
なんでも言ってくれ。
それは俺が対応しよう」

そう言ってくれた。

今までと全然違う。
何か新しい事が起きようとしている。
もしかしたら、金がない事で
開き直る様な生活から
脱却出来るのかも知れない。

僕の胸には希望が沸いてきたし、
苦手意識を持っていたBさんの
事を尊敬し始めていた。

我ながら単純だ。
どうして僕はこうも人の
判断や決定に全てゆだねる様な
気持ちになるのか?
疑ったり、人生計画を立てたり、
自分に力をつけて
独立するすべを考えたりせず、
人の考えによりかかろうとするのか?

僕は他人に期待しすぎるのだ。
自分はただらーめんを作りたい。
後の事は全て人に任せてしまいたいのだ。
良く言えば素直で人をすぐに信じる。
しかし悪く言えば、バカなのだ。

当時、僕も居酒屋のメンバーも
毎日15時間くらいは店にいたと思う。
飲食店をやっている人なら
驚く様な時間ではないと思う。
それに僕たちは走り出した
ばっかしの店だった。
まだ二年くらいなのだ。
だから自分達が礎を築いている。
ここから始まる。
だから今は休みがなかったり
一日の時間がなくても当たり前、
くらいに思っていた。

いつかはスタッフを増やして
シフトをしっかり組んで
それぞれ休めるようにしたい、
会社も社会保険を付ける様に
頑張ると言ってくれている。

ここから始まるんだ、
そう思っていた。

しかし何をどうすれば
その方向へと向かうのかは
全く示されなかった。
売り上げの目標も出されないし、
僕は自分の手帳にデータを
記録して自分で損益分岐を
だしているといえ、
具体的に会社がどれだけ税金を
払ってどれだけ貯蓄しているか
までは把握していなかった。

だから僕が個人的に立てた
売り上げ目標も会社にとっては
本当にいい目標なのかも
解らなかったし、
どれだけ結果を出したら
次のステップに進むのかも
見えなかった。

何を目指してるのかも。
つまりここにも
『理念』
はなかったのだ。

理念のない組織でどこを
目指すのか解らない僕は、
必然的に個人的な目標しか
見なくなった。

当時の僕の目標は
『腕を上げる』
ただそれだけだった。

なにを目指すのか解らないなら、
ひたすら美味しいらーめんを
追求する事のみが僕の目標だった。

休みの日は家にこもって
料理を作り続けた。
らーめん以外の料理を。
自分の飲食業としてのキャリアの
なさを埋めるためには、
とにかく作るしかない、
そう思い本屋で買って来た
料理を片っ端から作った。
少しでも幅広く食材に触れ、
今までに経験してこなかった
調理法を知りたいと思った。

そして少しでもキャリアのなさを
埋めて自分に自信をつけたい。
その結果、らーめんにいつか
反映出来る日がくればいい・・・。
そういう思いから、
何度も何度もホームパーティを
開いては友人たちの反応を見た。

そうした意欲は
『期間限定らーめん』
へと昇華されていった。

我ながらユニークならーめんを
作り続けていて、近くに住んでいた
モトイに何度も試食に
来てもらったりした。

中でも人気の高かった
『春の白味噌豚骨』
は傑作だった。
西京味噌をベースに
らーめんには使わないであろう
果物もタレに使い、
京都のお雑煮をイメージさせる
花鰹を上に散らし、
焼いたネギが載る独創的な
らーめんだった。

試食に来たモトイが
「・・・完璧や」
と言ってくれた時の表情を
思い出すと本当に
誇らしい気持ちになる。

あの今や世界のスターシェフの
モトイが気まぐれだったとしても、
僕のらーめんを認めてくれたのだ。

これはどんな有名人やグルメに
評価されるよりも嬉しい事だった。

しかし何が気に入らなかったのだろう。
Bさんは執拗に期間限定らーめんを
廃止するように求めてきた。

当然僕は納得がいかなかった。
束の間に見た希望は、
吸収合併した直後から曇り始めていた。

次回に続く。