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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第33回

Mが修業先を退職して
僕たちに合流したのは、
Aさんが何の考えもなく
発表してしまった
『8月9日オープン』
の2週間前だった。

本来であれば開店を2週間後に
控えている状況であれば、
工事はほぼ終わり、
厨房機器も一通り揃い、
試作や試食、
オペレーションの確認、
アルバイトの講習などを
行っていなくてはいけない時期だ。

AさんはMを連れて工事中の店まで
やってきて、Mに対して誇らしげに
自慢げに店を見せた。

「どうよ?M。かっこいい店だろ?」

「・・・なんすか?これ?」

Mは絶句していた。
もちろん、悪い意味でだ。
開店を2週間後に控えている筈の店は、
まだカウンターすら立ちあがって
いなかったのだ。
誰の目からみても2週間後の
開店なんて不可能だったのだ。

Mが喜ぶと思って自慢げに店を見せた
Aさんは明らかに不機嫌になった。

「・・・なんだよ、その態度?」
「だってこれじゃ何も
始まらないじゃないですか・・・」

Mは人に気を使ったり空気を
読んだりすることが極端に
苦手な男だ。
それは僕やHさんが
「はぁ、仕方ねぇな」
と諦めながら気を使って来たAさんにも
容赦なかった。

「この状態でどうやって店始めんすか?」

ここまでのAさんの
自分勝手さに免疫がついて
半ば無気力な所のあった僕たちと違って、
Mは直截的にAさんとぶつかった。

当たり前だ。
MはAさんが本当はどういう人なのかを
まだ解っていない。
それは一緒に仕事を始めるまで
解らなかった僕やHさんや料理長
またはこれから入る仲間たちと
同じだった。
僕たちだってAさんに魅力を感じて
始めたのだ。
そして一緒に働き始めたら
あっという間にメッキは剥がれる。
それくらいにAさんは身内以外の人への
アピールが上手な人だったのだ。
だから僕はMをこの仕事に
巻き込みたくなかったのだ。

しかしAさんは僕が知らない所で
Mを口説き落としてきた。
僕がMに「修業先に残った方がいい」と
言ったにも関わらずに。

そしてMは当時では20代にしては
安定した給料を貰えていた修業先を
退職してまで、この新しく、しかも
お先の全く見えないプロジェクトに
参加してきたのだ。

Mはいきなり不機嫌になった。
その不機嫌な態度は僕にも向けられた。
Mはいつも元気で常に強気で
何があったって前を向いている、
そんな僕が好きだったのだ。

Aさんとのおかしな関係から
いつも鬱々としている僕にも
幻滅したのだ。

そして前々回のブログで書いた様な
波乱の開店当日を迎えた。
Mは日に日にAさんへの不信感と
僕への不満を募らせながらも
頑張ってくれていた。

しかし、本来の彼の繊細さが災いした。

彼は徐々に寝坊を繰り返す様に
なっていた。

ひどい時では、
昼の11時に出勤の筈が、
16時まで来ない事もあった。
Mの性格や性質も知り、
「うちに来ない方がいい」
とまで言った僕には、
そんなMをあまり怒れなくなっていた。

修業時代なら殴りつけていたような
場面でも
「・・・まぁ、ええよ・・・」
と流す様になってきた。
そうなるとどんどん二人の関係は
『締り』の様な物がなくなってきた。

Mは僕への不満を態度で現す様になり、
僕はひたすら我慢した。

しかしAさんはMの遅刻を
減給という形で罰してきた。
その判断自体は間違いではないと、
僕も思う。

ただ、僕たちはそもそもの
給料が安すぎたのだ。
減給されたら家賃を払うのも
困るくらいの収入だったのだ。

Mの荒れ方は日に日にひどくなっていった。
寝坊は続き、ある時全く店に来なくなった。
電話をしても出ないし、アパートに行くと
電気はついてなく鍵もかかったままだった。

僕は諦めた。
逃げたな。
東北へ帰ったんやな。
悪い事したな・・・。
あいつが最初に電話をしてきた時に、
Aさんと仕事をするのがいかに
難しい事なのかをしっかりと
聞かせれば良かった・・・。

僕は1人で店をやる事を心に決めた。

それから三日たった閉店後、
Mから電話がかかってきた。

「お前、今どこでなにしてんねん?」

「・・・すいません・・・
寝てました・・・」

Mの話によると本当に丸々三日間もの
間、起きれなかったというのだ。

信じられない話だが、僕はすぐに信じた。

Mの心はその時点で完全に壊れていたのだ。

ここで読んでいる人の中でも
一つの疑念が沸いてくるかも知れない。

なぜ僕たちは家賃を払うのも困るくらい
にしか給料をもらえなかったのだろう?

売り上げが低かったからだろうか?

いや、そうではなかった。

店の会計は外部に頼んでいたため、
税金の計算などは行っていなかったが、
僕は修業時代に
人件費と材料費の割合や、
現場の責任者としての
経費をかけるべきポイントと
削減のポイントを学んでいた。

独自に毎日記録を取り、
自分が任されている店の
損益分岐を常に出していたのだ。

僕の計算に狂いがなければ、
それなりの額がプールされていても
おかしくない計算になっていた。

僕は常にもう少し給料を貰えてもいい、
と考えていた。

Mは明らかに心を病み始めていた。
Mはそもそもが少ない給料を
さらに減額されて、
社会保険もない会社の中で
国民健康保険も払えていなかった。
病院にいくお金もなかったのだ。

僕はありったけのお金
(僕もほとんどお金がなかったから、
恥ずかしい話だが、
10万円にも満たない額だ)
を与えて、
すぐに保険証を発行させた。
そしてMを心療内科へと通わせた。

それと同時にAさんに掛け合い給料を
上げてもらえるように頼んだ。

「みんなが無理なら、
Mだけでもあげてやってください」と。
その時に帰ってきたAさんの答えに
愕然とする。

「おかしいな、
十二分に与えてる筈なのにな・・・。
あいつ、何に使ってるのかな?
風俗でも行ってるのかな?」

僕は絶句した。
僕たちは遊ぶお金も時間も
ないのにも関わらず。

僕とMは修業先の1/2くらい給料で
一日に15時間以上働いていた。

それから数カ月たったある日の営業中、
その時に限ってお客様が一人もいなかった。
僕はMに
「休憩しながらでいいから、
もう少し頑張ろうか」
と声をかけた直後だった。
Mは体を震わせて厨房とバックヤードを
仕切る柱にもたれかかりながら、
泣き出した。

「・・・南さん、
本当にすいません。
本当にすいません。
・・・俺・・・
もう無理です・・・」

その言葉を吐いた後は、
Mはもう言葉を発する事が出来ないくらいに
号泣して厨房の床に崩れ落ちた。

僕はもう何もかけられる言葉がなかった。

Mはその日を最後に店にはこなくなったのだ。

次回に続く。