金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第27回

らーめんのスープ、

と一言に言っても
ただ美味しいスープを作れば完成ではない。

お蕎麦でいうところの
『かえし』に当たる
タレや脂との割合のバランスや、
タレそのものの完成度やスープとの相性、
脂の香りや旨みの種類、
またはそれら以外の食材を使う事で
生まれる風味、
全てが渾然一体と
重層的な世界を作り上げて
初めて『スープ』は生まれる。

そしてそのスープに入る麺の種類や
特性によってもスープの持っている
ポテンシャルを存分に引き出せるか否か
大きく分かれる。

スープを作る、
という事は、
らーめんをトータルコーディネイト
する事なのかも知れないと
僕は考えている。

経験不足の26歳だった僕は
『タレ』を
開発する事に一番悩まされた。

どこにもないもの、
自分自身の味を見つけたかったのだ。

Aさんに感じていた違和感は、
「この人、口だけだな・・・」
という確かな嫌悪感へと変わり始めていた。

その嫌悪感を初めて感じた日の事を
まるで昨日の事の様に思い出す。

らーめんの試作をし始めた
ごくごく初期の頃の話だ。

毎日の労働と
居酒屋の手伝いとの合間を縫って
自分の部屋で幾通りものタレを作り、
居酒屋の厨房を借りて作っていた

まだまだ未完成のスープと何度も
掛け合わせて試作をしていた。

当然の事ながら、
最初は全く上手くいかない。
そんな時にAさんがやってきた。

「お?やってるねぇ。
ちょっと俺にも味見させてよ」

もちろん断る理由はない。
一口飲んで、Aさんは当然ながら
渋い表情を浮かべた。
Aさんは修業先の味を思い浮かべて
いたからだ。

「・・・うーん、美味しいけど、
なんか違うね」
「はい。まだまだ試作中なんで」

僕は当たり前の返答をしたのだが、
どうやらAさんは僕の返答に納得が
いかなかったらしい。

「あのさ、
大祐は修業先のらーめんを
作れるんじゃないの?」

「修業先のらーめんはとても特殊です。
この設備では再現できません。
それに同じ味ではただのパクリです。
オリジナリティがないと」

この返答も気に入らなかった様だった。

急に居酒屋のキッチンの
調味料の棚をあさりだし、
一本のペットボトルを
僕に持ってきた。

「あのさ、
お前みたいに難しく考えないで、
これじゃダメなの?」

僕に見せてきたものは、
業務用の
『追いカツオの出汁の素』
だった。

それは自分で出汁を取らない店が使う、
わざとらしいくらいに鰹の風味を強めた
濃縮タイプの液体出汁だった。

そうした既成品で人々を熱狂させ、
病みつきにさせ、
幸せを与えるラーメン屋が出来るのであれば、
どこのラーメン屋の店主も苦労しない。

この時に僕は
「あ、この人、試作なんてしてないな。
ずっと料理をやってきたなんて嘘だな」
と思った。

しかし、僕の様にAさんに
魅力を感じていた人間がいる半面、
Aさんの事を頭から「インチキだ」と
思っていた人も少なからずいた。
僕は盲目過ぎて客観的にAさんを
評価できなくなっていたのだ。

それでもらーめんの試作と毎週日曜日の
居酒屋でのらーめんデイは楽しかった。
居酒屋の常連の方にはその日曜日は
「一週間で唯一大ちゃんが輝いている日」
等と言われていた。

その日以外の僕の居酒屋での勤務態度は
『目が死んでいた』
そうだった。(事実やる気はなかった)

毎週土曜日に日雇いの仕事が終わったら
そのまま居酒屋に出勤する。
土曜日は週で一番忙しいので、
たまにもらえる早上がりもあまりもらえない。
夜明け前の3時くらいか、
遅い時には朝の5時くらいに
一度居酒屋を退勤する。

その後6時か7時くらいに
再び居酒屋にいき、
日曜限定らーめんデイの為の
仕込みを始める。

その時点で居酒屋のお客様が帰っていて
閉店していればすぐに仕込みを
始めさせてもらえるのだが、
当時のAさんのお店は
『閉店は客が帰るまで』
がモットーだったから、
なかなか仕込みは
始めさせてもらえなかった。

そして居酒屋が準備を始める16時までには
らーめんの仕込みを終えなくてはならない。

ただでさえ時間のかかる豚骨スープなのに、
時間が減っていくのは本当に焦った。

いくら試作とはいえ、
このらーめんはお客様からお金をいただく。
飲食業なら当たり前の話だが
美味しい事は当然の事で、
プラスアルファで何か他所にはない物を
提示出来なければ失格なのだ。

だから僕は自分の持てる限りの
物を丼に注ぎ込みたかった。

そして18時に店を開店させると、
僕もらーめんの注文が入るまでは
居酒屋のスタッフとして働く。

そして居酒屋の閉店と
片付けまでこなすと、
僕は48時間起きている事になった。

そしてそのまま日雇いへと出かける。

一体何時間起きてたのか、
いつ寝てたのか自分でも謎だが、
この一週間が終わると僕は
らーめんを食べてくれた人から得た
感想を日雇いへの出勤途中の電車の中で
ノートに書き込んで、
次週は何を改良するかを考えて、
イデアをさらにノートに上書きした。

そしてギリギリの毎日の中でまた
食材を探しに行き、
限られた時間で
タレの開発を続けた。

子供ころから自分の世界に入り込んで
何かを作ることが好きだった僕にとって、
誰にも邪魔をされずに一人で没頭できる
時間は本当に幸せだった。

修業期間が短かった僕にとって、
こうして1人で研究できる時間は
本当に貴重だった。

そしてそうして開発を重ねたらーめんは、
次第にお客様から熱心な評価を
もらえる様になってきた。
この時点で今でも恐らく変わっていないで
あろう海辺の町で僕が大将を務めた
らーめん屋のタレのレシピの
8割は完成していた。

らーめんはこうして日進月歩で製作が
進むのだが、ラーメン屋の店舗は
物件の候補すら上がってこなかった。

僕はの胸にはどこを目指していいのか
解らない虚脱感が生まれ始めていた。

僕が修業先を退職して
半年以上が過ぎていた。

僕は27歳になっていた。

以下、次回に続きます。