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金澤流麺物語

金澤流麺らーめん南の店長南大祐の独白ブログです。こちらは営業内容やらーめんそのものとは関係のない日常的な話や、店長の趣味格好などを書いていくブログです。

金澤流麺物語 第9回

前回までの投稿で僕がどういった経緯で
金沢からこの町へと移り住んだかを書いた。
今回はこのシリーズの最終回です。

今回は僕自身ではなく、
この町に移り住むきっかけであり、
ラーメン屋になる最初のきっかけを
つくってくれた前田元という男と、
僕とモトイとの関係を簡単に記して
このシリーズを締めくくりたい。

僕とモトイは高校で知り合った。
当時の彼を一言で言うなら

『悪ガキ』

恐らくモトイの10代からの知り合い全員に
「モトイの10代ってどんな感じだった?」
と聞くと100発100中で

『悪ガキ』

という答えが返ってくるはずだ。
どれほど悪ガキだったかは、
今や世界のスターシェフとなった
彼の名誉に関わるので
書くことは避けたい。

しかしどれだけ悪さをしても
憎めない愛嬌が彼にはあった。
その性質をして彼の事を
親しみを持って『悪ガキ』と
人は呼んだのだと思う。

僕と彼が仲良くなったのは、
部活における立ち位置が
よく似ていた事が大きかった。
僕はラグビー部のキャプテンで、
彼はハンドボール部のキャプテンだった。
お互いキャプテンだったが、
エース格の選手ではなかった。
選手としての信頼感は
副キャプテンの選手の選手の方が
上だった環境もよく似ていた。
そのこともあってかすぐに意気投合した。

彼はハンド部のキャプテンで類を見ない
悪ガキだったが、
幼少の頃より

『洋食のコックになりたい』

という夢を持っていた。
高校で一人暮らしをしていた僕に
パスタを作ってくれて、
まだ一口も食べてないのに、
嬉しそうな顔をして
「どや?美味いけ?美味いけ?」
と聞いて来る彼の顔をいまだに忘れない。

そんな彼は当然の様に高校を出たら
料理の道を志す。

そもそもの志が高い彼は
「レベルの高い所で修業したい」
と考え、就職できる職場で
一番高いレベルが中国料理だったのだが、
「料理はすべて料理。
絶対自分にプラスになるから10年は頑張る」
とまっすぐに中国料理の道を進む。

もし僕が彼の立場だったら、
レベルを下げてでも
洋食にこだわったのではないだろうか。
この18歳の時点で彼は僕とは
見ている地平が違った。
数年京都のレストランで働いた後、
「より自分を高めたい」
と東京のレストランに移籍を果たす。
彼の移籍から2年ほどして
僕がこの町へとやってきたのだ。

彼の部屋で飲んでいた
24歳の頃を思い出す。
彼の部屋でテレビを観ていたら、
フランスで活躍する日本人シェフが
ミシュランで星を獲得した
ドキュメンタリー番組が放送されていた。
彼はその放送を観ながら

「俺はこのレベルで戦いたいねん」

と言った。
彼は昔から高すぎる目標を口にしたが、
それを『高い』と思わせない説得力があった。
僕は「まぁこいつなら行くやろな」
くらいにしか思っていなかった。

28歳だっただろうか。
彼が中国料理をまさに10年続けた頃だった。

「大さん、俺は幼いころの夢に向かう。
フランス料理をやる。フランスにいく」

と言い出した。

「え?なんでいきなりフランスなん?」

と驚いて聞く僕にこう答えた。

「10年中華をやってきて、
10年フランス料理を
やってきた人達に並ぶには、
濃い時間が必要や。
日本では間に合わん。
だからフランスに行く」

最初から志の高い彼は迷いがない。
そう決めると彼の行動は早かった。
フランス語を学び、
会社に辞める意思を伝え、
一年後にはフランスへと飛び立った。

フランスでは素晴らしい師匠との
出会いがあったそうだ。
彼の情熱はどこへいっても人を魅了する。
フランスで働き続ける選択肢も
あったようだが、結果帰国した後に
苦労に苦労を重ねて京都に念願のフランス
料理のレストランを開店する。

その時の手紙に書いてあった文面が
今も忘れられない。

『色んな人のおかげで店を出せる事に
なった。これからも親友であり、
ライバルでいてくれ』

俺はその手紙を読んで感動したのだが、

「ずっと親友でいる事は可能だが、
俺があいつのライバルなんかで
いられるだろうか?」

そう思うと足のすくむような思いだった。

しかし誇りの親友がそう言ってくれるので
あれば、とにかく前に進むしかない。
僕は大きな勇気をもらった気持ちになった。

彼は翌年に早くも
ミシュランで星を獲得する。
まさに有言実行だ。
当然の様に周りは大騒ぎをした。

でも、僕はこう思ったよ。

『何を騒いでんの?
あいつならやって当然やろ。
だってモトイやぞ?
お前ら、あいつが凄いって
やっと分かったんか。
どや、俺のツレは凄いやろ!』

って。

彼はいつ電話しても

「俺はまだまだ」

と言う。
きっと新しい目標を見ているのだろう。

僕はその『まだまだ』と
言える立場にすら立てていない。
だからこのブログから一歩を踏み出そう。

京都から金沢への引越は親の都合だった。
金沢からK県への引越は逃避だった。

今回色んな事が重なって
金沢に帰って来た意味は、
未来のgiant stepだと
思っている

かっこつけずに生きていこう。
曝け出していきていこう。
真っ直ぐに進んでいこう。

あなたが今日も優しくありますように。
あなたが今日もあなたらしくありますように。

LOVE&BEER!

http://kyoto-motoi.com/

レストランモトイの
ホームページのURLを貼っておきます。
皆様どうぞよろしくお願いします。

 

 

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