ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第7回

前回のブログで親友のモトイを頼り、
K県に転がり込んだまでの話を
書きました。
今日はその続きです。

「お前、
貯金あるうちに部屋と仕事探せよ!
ずっと俺んちいんなよ!」

といきなり怒鳴ってきたモトイに
僕はかなり面喰っていた。
なぜモトイがそれほどまでに
強い口調で言ってくるのかの
意味もわからず、
僕は僕で

「なんやねん、こいつ」

なんて思って不愉快な気持ちだった。

しかしモトイが僕に
「仕事と部屋を探せ!」
と言っているのはかなり本気の様子だった。
彼は自分の仕事が終わったら
求人情報誌を山ほど買いこんで帰ってきた。
会話もそこそこに胡坐をかいて座り、
雑誌を広げたと思ったら

「ここにリサイクルショップあるな・・・
あかんな・・・
キャリアにならへんな・・
あ、ここにカレー屋あるな・・・
ちょっと遠いか・・・」

などと僕の仕事を真剣に探し始めた。
僕は寝転んで興味ないふりをしながら

「もうちょっとのんびりさせろや」

等とのんきなふりをしていたのだが、
モトイの姿をみて
「こりゃなにかせなやばいな・・・」
と感じていた。

取りあえずモトイの顔を立てよう・・・。

K県の地理が全く解らない僕は
ビール片手にブラブラと出かけた。

地元駅から4駅離れた目当ての駅は
案外近かった。
北陸では考えられない距離感覚だ。
北陸で4駅も離れたら田園風景を過ぎて
店などどこにも見当たらなくなってしまう。
(言いすぎかな。
北陸の皆さん、すいません。)

求人情報誌に載っていた『家系』という
ラーメン屋の前まで来た。
正直に告白しておく。
当時の僕はラーメンはおろか、
食べ物全般に興味なんてなかった。
ポテトチップスとコーラさえあれば
生きていけると真剣に思っていた。
だから当然の様にK県のご当地らーめんの

『家系』

も何の事か解らなかった。
「これ、なんて読むねん?かけい?」

等と思いながら暖簾をくぐった。
今では全国的に知名度のある
家系らーめんだが、
当時は東京の人でも知らない人がたくさんいた。

家系らーめんは麺の硬さや味の濃さ、
脂の量を選べる。そのシステムも知らず
「親切な店やなぁ・・・」
と思っていた。

店員さんに「お好みはございますか?」と
聞かれて、何が美味しいかも解らない僕は
「麺硬め、味濃い目、脂多め」と注文した。
なぜならこってりして味が濃い方が
美味しそうと思ったからだ。
その店ではそのパターンのお好みを

『マックス』

と呼んでいた。

僕のらーめんは

『並マックス入りましたー!』

と元気よく厨房に通された。

しばらくすると人生初の家系らーめんが僕の
目の前にやってきた。
レンゲを丼に浸してスープを一口啜る・・・。

初めて食べた家系らーめんは・・・・

僕に激烈な衝撃を与えた!!!

等と書けばラーメン屋を志すきっかけとして
恰好もつくのだが、
そんなことは、まるでなかった。
当時の僕にはこのらーめんが美味いか
不味いかも解らなかったのだ。
このラーメンの比較となるほどの食経験もなく、
そもそも食べる事なんて

『ガソリン補給』

位にしか思ってない僕にとって
味などどうでもよかったのだ。

ではなぜ飲食店を選んだのか?
単純に生活費を浮かしたかったのだ。
そして、モトイを通じて
飲食業の厳しさは聞かされていた。

ならばモトイの様に
一流店で長い修業をするのではなく、
いち早く得意分野を見つけたかったのだ。

だから、らーめん、お好み焼、カレー・・・
B級グルメなら修業が短くて
済むのではないかと考えていた。
あと、当時24歳だった僕は19歳くらいの
年下の先輩にデカイ顔をされることが
納得がいかなかったのだ。

そしてそれ以上に、
なぜか必死に俺に仕事をさせようとしている
モトイの顔を立てるために、
なんでもいいから働いておこう、
というどこをとっても社会も仕事も
飲食業もモトイの気持ちも
何もかもを舐めきった態度からの
選択だった。

らーめんを食べ終わった僕は
一人のスタッフを捕まえてこう言った。

「すんませんけど、
雇ってもらえないですかね?」

店員「・・・はぁ?」

らーめん並の硬め・濃い目・多めを
を完食した男の急な申し出に、
当たり前の話だが、店員さんは
驚きの表情を隠せなかった。

 

以下、次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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