ラーライブ〜MSGフリープロジェクト〜

石川県を中心に北陸で無化調でらーめんを作っている有志によるアミーゴ達の活動をブログに書いていきます。よろしくお願いいたします。

金澤流麺物語 第4回

15年住んだK県の
海沿いの街を離れる時、
その町の仲間たちは
『大ちゃんが地元に帰るんだ』
という言い方をよくした。

僕にとって金沢は地元と言うのは
ちょっと違和感がある。

僕は京都で生まれ育った。
だから僕にとって、京都が出身地である。
19歳で両親の都合で金沢に引越をした。
そこで働かさせてもらったのが前回の
ブログで書いた『アーク引越センター』
だった。

そこで初めて音楽の話が出来る友達に出会う。
それがなんとイガゾーの兄貴だった。
イガゾー兄貴とはほんとによくつるんだ。
その兄貴が弟であるイガゾーに
『ちょっとおもろい奴がいる』
と僕とイガゾーを引き合わせてくれた。

僕とイガゾーはすぐに仲良くなり、
どこにでもいる若者と同じように
酒を飲んで
時々ケンカして
女の子の話して
バンドを組んで
下らない話題でムキになって語って
つるんでいた。

今のイガゾーしか知らない皆さんから
したら信じられないかも知れないけど、
僕も彼も似たようなファッション
(バンドT、膝下の短パン、バンズ
のスニーカー)をしてウロウロしてた。

イガゾー兄弟と知り合ってなかったら、
もしかしたらもっと早い段階で
京都に帰っていたかも知れない。

それくらい当時の僕にとって金沢は魅力を
感じられなくて退屈な街だった。

その金沢で僕は不祥事を連発する。
手に職もなく将来への不安と焦りばかりが
まるで白山連峰の頂の様に僕の胸に
積み重なった。

そして、問題ばかり起こしていた僕は
誰も知らない街でやり直そうと考えた。

簡単に言えば、逃避。
金沢から逃げ出したのだ。
京都時代の友人を頼って流れるままに
K県に辿り着いた。
その時で24歳。
まさかその後15年も住んで
ラーメン屋としてなんとか
やっていけるようになるなんて
思ってもいなかった。

とにかく金沢から離れたかった。
『もう金沢には帰らない』
そう決めていた。

その辺りからの数年はイガゾーとも
京都の仲間とも連絡を取らない時期が
始まる。
どうにかこの町で身を立てないと、
『昔の仲間たちに会わす顔がない』
なんて考えていた。

だから今回の金沢への引越はずっと

都落ち

という気持ちが強かった。

どの面下げて石川県に帰れんねんと。
今までK県で散々デカイ事言ってきて
この恥さらしがと。
恥ずかしさと情けなさで一杯だった。

出来る事なら『自己破産』なんて誰にも
言わずにそうっとこの海辺の町から消えて、
そうっと金沢にいつの間にか帰ってた・・・。
そんな日蔭者の暮らしがお似合いだと
自分で決めつけていた。

だから僕にとって金沢は

『地元』

ではなく、やはり他所の土地、だった。

しかしそんな僕の気持ちは独りよがりの
メロドラマの主人公みたいな
自意識過剰の沙汰だと気づかせてくれたのは
他でもないイガゾーだった。

彼は『本当に南がやり直したいなら、
自分の悪い部分も曝け出して、
きちんと向きあったほうが良い』
と真正面から接してくれた。

彼は僕に対してお世辞やおべんちゃらは
一切使わない。
いつだって真っ直ぐにぶつかってくれた。

かつて僕が店は軌道に乗って周りから
みれば僕の店ほど成功している店なんて
ないと思える状況にも関わらず、
常に満たされない僕に向かって
こう言った。

『お前、ほんとめんどくせーな。
なんで南は満たされないんだろうね?
よくわかんねーから解るまで
一生付き合ってやるよ。
しゃーなしで』

こんなどうしようもない男の背中を
押してくくれる酔狂な男、イガゾー。
そんな彼を紹介してくれた兄貴。

そしてどうしようもない時期を
ともにやんちゃしながら駆け抜けた
金沢の仲間たち。

みんな、帰ってきたよ。

僕はこれからどっぷりと金沢に浸ります。

身も心も金沢の人間になります。

京都、K県、金沢。

愛する地元が僕には三つもあります。

こんな贅沢ってないよな。

みんなほんまにありがとう。
ここまで読んでくださった方、ほんまにありがとう。

少しずつかも知れないけど、前に進んでいきます。