金澤流麺物語 第209回
こんにちは。
らーめん屋で働き出すまでは「ロックスターになって印税生活するか、芥川賞作家になって印税生活するか、しか俺の未来はねぇな」とか考えてたバカ者の若者だった金澤流麺らーめん南の南大祐です。
ちなみにロックスターと小説家の間を取ってらーめん屋になりました。
あぁ、らーめん屋になれてよかった・・・ほんまに・・・。
らーめん屋になれてなかったら、どこかで野垂れ死ぬか、ただの迷惑なオッさんになってたかのどっちかやったやろなぁ・・・。
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ロックスターというのは置いといたとして、音楽は幼い頃から大好きでした。
でも音感もリズム感もない事は自分が一番よく分かっていて、幼い頃から音楽は聴く専門でした。
保育園に通っていた頃、リズムの時間という授業が週に一回あって、保育園に通っている園児みんなで音楽に合わせて走ったり飛んだり跳ねたりする時間でした。
幼い頃の僕はその時間が苦痛で苦痛で。
なんだかんだ言ってもサボっていました。
リズムの時間の次に嫌いだったのがサッカーの時間でした。
園児ながらに作戦とか立てるんです。
最初はウンウンと作戦を一緒になって聞いてるのですが、途中で「この作戦を俺がミスったら、えらいこっちゃな」と思い出して、ミスをするのが怖くて「俺、キーパーでええわ」とさっさと仲間の輪から離れて一人でゴール前でポツンと待っていました。
幼い頃の僕は積極性もなく、運動もきらい、協調性もない、そのくせお絵かきとか粘土遊びとか一人で出来る遊びが大好きなマイワールドの強い子供でした。
友達を作るのも苦手で、同じ友達ばかりと遊んでいて、その友達が、他の誰かと遊び出したらふてくされて一人でいじけている様な子供でした。
そんな僕がラグビー部ではキャプテンを務めて、仲間と組んだバンドでは常にボーカルと作詞を担当するのですから、人間どんな風に成長していくのか分からないものですね。
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音楽が一番僕に教えてくれた事は、自己表現する事は素晴らしい、大切だ、生きている証だ、という事でした。
だから今でも音楽を浴びる様に聴いて暮らしています。
ジャンルは結構なんでも。
オールジャンルな方だと思います。
通勤の車では体をアクティブに動かせる様にリズムがドシンドシンと体に響く様なヒップホップを聴きながら出勤したり。
店に入って準備を始めたらその時に一番ハマってて元気になるアーティストを選んでノリをあげて仕込みをしたり最近はchan-mikaがお気に入り)
営業が始まったら、明るいサンバやサルサ、時にはボサノバでも明るい曲調を選んだり、セルジオメンデスをブラックアイドピーズがリミックスしたアルバムをかけたり。
夜はあまり激しくないハードバップやビバップの中から少しムードのあるものを選んだり。クリフォードブラウンとか、ソニークラークとか。ムードのあるソウルミュージックをかけたり。
帰りの車ではフィッシュマンズだったり、ブラジル人シンガーのマルシアロペスで心を落ち着かせたり・・・などなど。
本当に節操なく音楽を楽しんでいます。
僕は人の温もりや温度の感じられる音楽が好きです。
そんなアーティストの自己表現が、会ったことも話したこともない僕の心を震わせるのですから、音楽って時間や国境や肌の色を超えて伝わる何かがあるねんなぁ・・・とほんまに感動します。
僕の作るらーめんは、目の前で食べてくれない事には何も伝わらないです。
音楽の様にレコードになって大切に扱われて保管されている以上はいつでもその感動を味わえる・・・とはいきませんが、その分毎日ライブを開いてる様なものなのかな?とも思います。
毎日いいライブをして、お客様の中の何かに届けばいいなぁ。
たくさんの尊敬するアーティスト達が悩んで苦しんで、激情から優しさから、体から心から、音楽を生み出してきた様に。
そうなれるにはまだまだですが、僕も出来ることをしっかり真面目にやって、少しでも人の心をリフトアップできるものを作らなきゃ。
いつもそう思います。
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時々、好きなアーティストについてブログを書いていきたいと思います。
自己満足度が増す可能性もありますが(笑)、どうぞお付き合いください。
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あなたが明日も優しくあります様に。
あなたが明日もあなたらしくあります様に。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第208回
今日も朝の試食を妹と行いながら
僕「美味いなぁ、麺」
妹「美味しいね、麺」
僕「ほんま美味いなぁ、麺」
妹「うん、ほんと美味しいね、麺」
・・・スープは?
麺マジで美味いんで、よろしくお願いします。
金澤流麺らーめん南の南大祐です。
先日、幼い女の子が「この麺美味しい!パンみたいな味がする!」と大きな声で言ってくれました。
大正解です。
将来グルメ間違いなしです。
国産小麦100%の全粒粉麺なので、小麦の美味しさがダイレクトに伝わります。
ちなみに、うちの麺は硬めだとあまり良さが出ません。
しっかり茹でた方が美味しいです。
小麦を噛み噛みしてる感じが出ます。
でも硬い食感がお好きな方はお気軽に「硬めで」とお伝えください。
硬めでお出しします。
よろしくお願いいたします。
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で、四ノ宮商店さんの麺の質はもうすでに信頼していて即決定だったのですが、それ以上に僕は四ノ宮商店の取締役の網野さんとまたこうしてお仕事ができることが幸せでした。
網野さんは僕が初めてラーメン屋に飛び込んだ店の先輩で、当時店の主任を務めておられました。
僕の2歳年上なので、当時はお互いに若かったのですが、網野さんは常に冷静、大人に対応、話上手の聞き上手。
僕はたった2歳差なのに「この人ずいぶん大人っぽいなぁ」と思っていました。
その頃の僕のイメージは『ムードメーカー』(網野さん談)だったそうです。
ヤンチャでしたからねー。
僕は網野さんによく飲みに連れて行ってもらったり、らーめん食べ歩きに連れて行ってもらったりしてたのですが、そんなある日の網野さんの言葉が今も僕の胸に刺さっています。
網野さん「どう?ここのらーめん美味い?」
僕「美味いっすね!」
網野さん「美味いよな。でもさ、大ちゃんここの店員さんにもう一度会いたい、って思うような人、いる?」
僕(店を見渡しながら)「うーん?特にはいないっす!」
網野さん「でしょ?大ちゃんはもう一度会いたい、って思わせるラーメン屋にならなくちゃいけないんだ。ラーメン屋がらーめんが美味しいのは当たり前なんだ。それプラス人間性でファンを作れなくちゃいけないんだ。それがマンパワーなんだよ」
僕「・・・マンパワー・・・わかんないっす!」
こんなやり取りをしたのですが、若い僕は日々の仕事で(後は毎晩の夜遊びで)いっぱいいっぱいだったので、正直な気持ちを言うとこの話を聞いたときは「そんなん、知らんやん」くらいにしか思っていませんでした。
でも網野さんは本当にお客様に人気のある店員でした。
お客様とコミュニケーションの取りづらいラーメン屋にあって、網野さんがホールを回すと本当にお店がスムーズに回ったし、お客様もニコニコでした。
特別派手なトークをするわけでもなく、特別なにかサービスをするわけでもなく、網野さんのさりげない気遣いやほんの一言の言葉遣いでお客様はどれだけ待っていても嫌な顔をしませんでした。(当時の僕の修行先は40人待ちとかざらな人気店でした)
マンパワーの意味はすぐにはわかりませんでしたが、網野さんの魅力こそがマンパワーなんかなぁ・・・と少しずつですが感じるようになりました。
人間味・・・って事なんかなぁ?
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開店前に網野さんが麺の打ち合わせで金沢まで来てくれて、様々な麺を試したその後、二人で飲みに出かけました。
その時に僕が網野さんの言ってくれたマンパワーについて、「あの言葉、今でも覚えてます。僕もマンパワーを磨きたいな、って今なら思います」と伝えたら
「え?俺そんな事言ったの?若い頃の俺、良いこと言うねー!」
ですって(笑)
そんな網野さんの事をずっと尊敬しています。
網野さん、失敗と苦労の連続でなかなか前に進めないアホな後輩ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
前に食べて頂いた時よりも確実に美味しくなってるので、また金沢までお越しくださいね。
そしてdeep金沢にご案内いたしますので、またじっくり語り合いたいです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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落ち着いた表情の網野さん(右)と、いつまでもガキっぽさの抜けない僕。
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今回で俺とパイセンの麺物語シリーズは終了します。
らーめんや日常の出来事と関係のない趣味格好や音楽や本の話なんかも書いていきたいなー、と思っています。
これからもみなさんこのブログを読んでいただけてら嬉しく思います。
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あなたが明日も優しくありますように。
あなたが明日もあなたらしくありますように。
LOVE & BEER!
そして
RAMEN & ROLL!!
金澤流麺物語 第207回
今夜も雨ですねー。
最近は夜になると雨降る日が多いなー。
以前にフェイスブックでも書きましたが、石川県民の県民性として「雨や曇りが多いから人間性も閉鎖的な人が多い」と発言する石川県民の方がチラホラ見受けられます。
石川県歴の浅い僕はそこまでは分かりませんが、雨や曇りをネガティヴに捉えるとそう感じてしまうかも知れませんね。
僕は晴れの日はもちろん大好きですが、実は雨も好きです。
「雨が降るからこそ、雨上がり町は水滴だらけで、水滴に光が乱反射して町が美しい」
「曇りが多いから、雲の切れ間から注ぎ込む陽の光が信じられない美しい」
僕は石川県の風景や気候をそう感じています。
晴れて上機嫌、雨なら美しさへの期待が膨らむ♪
そう思えば毎日が美しい。
こんばんは。
基本晴れ男の金澤流麺☆らーめん南の南大祐です。
あまりにも白いごはんが合わない金澤流麺☆らーめん南の塩らーめん【海の向こうの彼女はジャポネーゼ麺】。
あまりにご飯が合わないのでバゲット用意しました。
CMでした。
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麺の話に戻ります。
石川県でらーめん屋を開業するにあたり、県内の製麺所を探すのがベストかな?と考えていましたが、選択肢は広い方が良いです。
県内の製麺所も調べつつ、僕は四ノ宮商店さんにもサンプルを早い段階でお願いしていました。
どれくらい早い段階かと言うと、まだ物件も決まっておらず、いつ開業するかも計画も立てておらず、一人で自宅でコツコツと試作を作っていた時期です。
ちょうど去年の今頃です。
正直な話、そのサンプルが非常に良い麺だったので、よほど四ノ宮商店を凌ぐような地元の麺がでてこない限りは製品の麺でも早い段階で四ノ宮商店に心は傾いていました。
で、なぜ四ノ宮商店にサンプルをお願いしていたのか?
それは四ノ宮商店の取締役の網野さんは僕の修行時代の先輩だったからです。
網野さんには本当にお世話になりました。
仕事を教えてもらったり、時に怒られたりはもちろん、お酒を飲みに連れて行ってくれたり、当時車を持ってなかった僕を横浜から辻堂までわざわざ送ってくれたりと、本当に目にかけてもらいました。
僕より2歳年上の網野さんですが、いつも冷静で落ち着いた雰囲気があり、話し上手の聞き上手、頭も切れて「この人、大人やなぁ・・・」と、仕事内容はもちろんですがその人間性を尊敬していました。
網野さんは僕よりも先に修行先を退職し、他店に移籍したのち現在の会社を同僚の方達(その中にはもう一人僕の先輩もいらっしゃいます)と立ち上げます。
事業を拡大していく中で製麺業を立ち上げ、その取締役として就任されました。
僕が四ノ宮商店を選んだのは品質はもちろんですが、こうしてまた再び網野さんと仕事ができる!という喜びが大きかったのは事実です。
僕と網野さんの間に、忘れられない網野さんの言葉がありました。
それが今も僕の仕事の根幹をなしています。
その話とは?
待て、次回!(決して焦らしているわけではありません)
金澤流麺物語 第206回
今回のシリーズは金澤流麺☆らーめん南の麺についてあーでもねぇこーでもねぇと簡単にサクッと終わらせるつもりだったのですが、書き出したら長くなりそうですわ〜。
でもらーめんそのものについてあまり話を書かないから、たまにはこういう内容の話を読みたい方もいらっしゃるのでは?と勝手に解釈して進めていきますね!
まいど。
金澤流麺☆らーめん南の南大祐です。
今日、画数に詳しいとある方に【金澤流麺】と【らーめん南】の間に何か入れた方が良い、との事で☆を入れてます☆
いいですね☆
つのだ☆ヒロみたいですよね☆
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修行時代にこんな事がありました。
修行当時僕が働いていた横浜らーめん壱八家は東戸塚本店とスカイビル店と二店舗あったのですが、先輩達の頑張りでどんどん人気があがり、目に見えて売り上げも上がりました。
そこで社長が「東京に進出する!」と言い出し、僕は六本木店と銀座店に主任という肩書きをもらって赴任する事になりました。
その当時のドロドロでドタバタな話は過去のブログに事細かに書いてあるので、興味のある方は是非読んでみてください。
僕の青春のモラトリアムにまみれた物語が読めます。
金澤流麺物語ブログ〜修行編
その時に店をあげてそれまでの製麺所を変えてよりいい麺にしよう、という動きがありました。
当時の店長を中心に選んだ麺は、とてもいい小麦粉、とてもいい水、かなり完成度の高い麺、という触れ込みで選ばれました。
単純に麺だけ噛んだら今までの麺よりも断然美味しいのですが、らーめんにするとそれまでの麺の方がスープに合っていて、結局麺は元の業者に戻した、という出来事がありました。
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らーめんはスープだけが突出して美味しくてもダメ、麺だけが突出して美味しくてもダメ、トッピングがやたらめったら豪華でもミスマッチならダメ、となかなか難しい食べ物です。
それぞれ個性がありながらも、一杯のらーめんとして表現しきれていなかったらそれは【ちょっと残念ならーめん】になりかねないんですよね。
なんかラグビーのポジションみたいです。
様々なポジションがそれぞれの役割と責任を果たした上でチームが機能する、そんな感じでしょうか。
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前回のブログでも書いたように僕は製麺をする事は出来ます。
ただ、極めてはいません。
そんな僕が開店の最初から麺を作るとなると、おそらくずいぶん不安定な仕上がりになったと思います。
スープ自体がどこもやっていないやり方と味を模索している中で麺までやり始めたら、全てが中途半端になりそうでした。
それなら信頼できる製麺所と意見を出し合って、製麺のプロ中のプロである製麺業者にお願いできるならそれはベストの選択ではないかと思いました。
そんな中で、なぜ四ノ宮商店さんにお願いすることになったのか?
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あーこれ長引く方向やん。
頑張って読みやすく短めに仕上げるのでまたつづき読んでくださーい!!
よろしくお願いします!
以下次回に続く!
金澤流麺物語 第205回
以前にも書きましたが、金沢市の電気屋さんライフサワダの沢田さんが仰られていた「ブログも1000回更新したあたりから反響が変わるらしいですよ」という言葉を励みに更新を頑張ろうと思っている金澤流麺らーめん南の南大祐ですが、1000回て途方もないな、おい・・・。
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さてさて、らーめんの麺についてです。
僕が修行を始めた頃(24歳でしたから、16年前です)、自家製麺にこだわる店が増えてきました。
神奈川県に留まらずらーめん好きならその名は必ず聞いかことがあるであろう、藤沢市鵠沼海岸にあった支那そばやの佐野実さんがこんな事を仰られていたのも、自家製麺に拍車をかけたのかも知れません。
「らーめん屋が自家製麺をやらずに製麺所に頼んでたら、そんなもんらーめん屋じゃなくてスープ屋じゃねぇかよ」
むむむ。
なかなかお厳しい言葉ですね。
当時24〜25歳くらいの僕は、「確かに一理あるな・・・でもスープの仕込みと営業だけでこんなに大変なのに、自家製麺なんて可能なのかな?」なんて思っていました。
そして16年くらい前、中華麺に必ず入っている灌水(かんすい)が健康に不安がある、という説が流布し、自家製麺を行うらーめん屋が灌水に変わる素材を探して模索していた時代でもありました。
蟹の甲羅を粉末にしたものや、海老の殻を粉末にしたものなど、新しい麺がメディアを賑わしたものでした。
当時は修行先のめちゃくちゃハードなスープの仕込みの仕事で精一杯だった僕は、正直麺についてまで勉強する余裕はありませんでした。
その後灌水に変わる素材は定着せず、灌水を使うことが当たり前になり誰も疑問に思わなくなりました。
灌水に代わる中華麺のコシを作る素材はなかったことと、研究の結果今流通している灌水は健康への不安はないと立証されたからだと思います。
でもそうした先人達の試行錯誤が時代を作っていくのですね。
その時代の先にこうしてらーめん屋を営めている事を、歴史の一端を担う役目を果たしているのだ、と誇らしく思います。
で、その後27歳で最初の店を構えて、31歳で移転した後何年後かなぁ?
35歳くらいの時かなぁ?
僕も自家製麺を始めました。
自家製麺を始めるまで、何度も何度も製麺業者は変わりました。
中には一度お付き合いを辞めた業者さんともう一度タッグを組んだり、僕はずっと付き合っていきたかったのに、大人の事情(苦笑)で付き合いを辞めざるをえなかったり、なかなか大変でしたが、辻堂時代の最後に自家製麺を作れたのはいい経験でした。
それまでの計4件の製麺業者さんよりも、自分のスープにマッチした麺になったと思います。(今の辻堂の店が自家製麺を続けているかどうかは、僕はもう知りませんが)
しかし一つだけ欠点がありました。
茹で時間が長い
という事でした。
もし僕にもっと時間があって、毎日製麺室にこもって開発と研究をする自由があれば、もっと茹で時間を短くしたり、もっと味わいやコシを研究できたのではないか?とも思いますが、それはもう過ぎ去った話しです。
今言いだしても栓のない話しです。
結局、自分が最初に作った麺をパートさんに毎日作ってもらう事になり、製麺を研究し尽くす事は出来ませんでした。
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話は逸れます。
その頃のパートさん、スタッフのみんな、バイトのみんな、ほんまに苦労をかけました。
当時の事を思うと、本当に胸が苦しくなります。
僕に余裕がないばかりに、みんなに多大な苦労をかけました。
それでも、今でもパートさん達とチャットで会話したり、一人一人の元スタッフや元バイト達とメールでコミュニケーションを取れたりしている事を本当に幸せに思います。
いつかみんなが金沢にらーめんを食べにきてくれた日、みんなが喜んでもらえるようならーめんを作れるように毎日頑張るからね。
これからも仲良くしててください。
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すいません。
話が逸れました。
えっと、つまり僕は自家製麺をしていました。
だから麺を作る事は出来ます。
ではなぜ金澤流麺らーめん南は四ノ宮商店さんを全面的に信頼して麺を注文しているのか?
それは次回以降になります!
待て次号!!
金澤流麺物語 第204回
203回目のブログはツイッターにもフェイスブックにもリンクは貼りませんでした。
ブログを書くことも辛かったし、でも気持ちを吐き出したかったし・・・。
でも俺ごときよりも当事者の方達やもっと思い入れのある方もいるし・・・。
とりあえずブログの形にはしましたが、あれが精一杯でした。
僕のブログはほとんどの方がツイッターかフェイスブックのリンクから読んでくださっているのでは?と思いますが、リンクを貼らなかった事で読めなかった方もいらっしゃると思います。
ご興味のある方は遡って読んでみてください。
こんな駄ブログにいつも足を運んでくださる皆様、本当にいつもありがとうございます。
僕たちは前に進んでいくしかないので、らーめんもブログも頑張って前に進んでいきます!
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以前にも同じタイトルでブログを書いたことがあります。
俺とパイセンの麺物語
金澤流麺らーめん南の麺は、神奈川県平塚市の四ノ宮商店さんの麺を使わさせていただいてます。
国産小麦100%の全粒粉麺。
全粒粉麺とは?
簡単に説明しますと、小麦の表皮、胚芽、胚乳を全て粉にしたものです。
普段スーパーなどで見られる真っ白な小麦粉は、この表皮、胚芽、胚乳は精製して使いません。
で、その全粒粉の何が良いか?
通常の小麦の栄養が詰まっている表皮、胚芽、胚乳全てを粉にしてしまうので、通常の小麦粉の三倍ほどの食物繊維と鉄分が含まれます。
ビタミンB1の含有量も高く、健康目的で使われる事の多い粉です。
そして国産小麦100%なので、輸入されて生産方法が分からなかったりどんな遺伝子組み換えの小麦を使われているのか分からなかったりという不安もありません。
そして玉子も不使用なので、玉子アレルギーをお持ちのお子様にも安心して召し上がってもらえます。
そしてなんと言っても四ノ宮商店の全粒粉麺は、全粒粉麺にありがちな【ボソボソ感】がとても少ないのも特徴です。
金澤流麺らーめん南の麺は、しっかり茹でてこそ、その旨味がよく伝わると僕は思っています。
ですから基本の茹で方は『これ以上茹でたら柔らかくなりすぎるな〜』という所の一歩手前です。
スープを纏った麺をよく噛むと、小麦の風味が強く感じられます。
ほんまに素晴らしい麺です!!
毎日の味見の時にいつも思うのですが、『スープの出来がいい日は、麺の味わいも強く感じ』ます。
だから四ノ宮商店さんの麺を活かすも殺すも、僕の努力次第だったりします。
さてさて、なぜ四ノ宮商店さんの麺を使うのか?
僕の麺への考え方は?
などなど。
過去のエピソードを交えながらあと2回ほどに分けて連載したいと思います!
みなさんどうぞよろしくお願いいたします!
次回に続きます。
金澤流麺物語 第203回
ここ2日ほど、ブログなど全く書く気も起きませんでした。
もうすでにたくさんの方がご存知だと思いますが、ミスターラグビーこと平尾誠二さんがお亡くなりになられました。
僕がラグビーを始めた年にラグビー日本代表がスコットランド代表を撃破しました。
僕は興奮しながらテレビに齧りついて観てました。
その時のキャプテンが平尾誠二さんでした。
これからの日本ラグビーを背負っていかれるとばかり思っていました・・・。
ここで僕ごときが言葉を連ねるのはどうも薄っぺらかなりそうで辛いです。
だからもうこれ以上は書きません。
悔しいし悲しいし!!
もう二度と平尾さんの様な存在は生まれ得ないでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。